山手線新橋駅(赤レンガ通り付近環状2号線工事現場)

赤レンガ通り付近環状2号線工事現場

なくなりつつある、日比谷神社を後にして、さらに、西へ向かう。
そういえば、日比谷、という語源は、なんだったっけ。
たしか、海苔の養殖と関係があるかどうか、ということだったな。
ただ、海苔の養殖は、早くても、江戸時代、一方、日比谷の地名は、戦国時代前には、すでに、存在していたようだ。とすると、日比谷と海苔の養殖とは、あまり、関係ないような気がする。
ひょっとしたら、古式の定置網漁法に、石干見(いしひび)漁、竹干見(たけひび)漁、笹干見(ささひび)漁、というのがあるが、その「干見(ひび)」なんじゃないかな、と、ふと、思いつく。
例えば、石干見漁というのは、遠浅の海に、石垣で、魚の誘導路を作り、潮が満ちたときに、入ってきた魚が、引潮になったとき、閉じ込められる、という、漁法だ。
なるほど、江戸時代前、日比谷には、遠浅の、日比谷入江、があった、ということだから、その入江に、魚を捕るための仕掛けが、あったのかもしれない。
さらに、日比谷神社は、別名、鯖稲荷、ともいう。
サバは、干見(ひび)漁法の、主要な獲物なわけで、この点も、よく符合する。
「日比谷」は、干見(ひび)家、干見(ひび)屋、だったのだな。
もっとも、では、干見(ひび)、というのは、どこから来た言葉なのだろうか、また、例の、「烏森」、というのも、まだ、わからない。
考えるのは、また、次、訪れたときにしよう。
西に、細長く伸びる、更地を進む。このままでも、すでに、道路みたいだ。
やがて、南北に伸びる、赤レンガ通り。
レンガ、という言葉の響き、一種、独特な、モダンな雰囲気がする。
たぶん、石垣や石畳とは違い、もともと、日本になかったからだろう。
文明開化、ということかもしれない。
ただ、こうして、再開発が始まると、文明開化、モダン、というのも、遠い昔、という感じだな。
(2009年6月記)