2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧
第一京浜から、品川神社参道を、東へ。 北馬場参道通り商店街になっているが。 しばらくすると、南北に伸びる、旧東海道。 こちらは、北品川商店街。 江戸時代、目黒川から北側は、北品川宿。 おそらく、北品川、というのは、江戸時代からだろう。 北品川商…
石段を上り、境内へ。 境内の南側には、富士塚がある。 ただ、この富士塚、江戸名所図会には、載っていない。 なぜなら、完成したのが、明治時代初め頃、だから。 といっても、初め頃なので、江戸時代、でも、いいのだが。 逆に、このタイミングで、完成した…
清徳寺の北側には、品川神社。 創建は、鎌倉時代の初め頃。 品川湊を、見下ろせる、丘の上にある。 品川湊についてだが、太古の昔、今の府中、武蔵国国府と、品川道で、結ばれていたようだ。つまり、国府直轄の湊、ということらしい。 鎌倉幕府が、品川神社…
第一京浜の西側には、清徳寺。 創建は、鎌倉時代の終わり頃。 創建の地は、この場所。 南側、近く、流れる目黒川の、河口は、昔から、品川湊があったので、ここらへんも、開けていたのだろう。 江戸名所図会にも、載っている。 目黒川の北側、一帯、今の、東…
江戸時代、品川宿があったとき、馬を、常備していたらしい。 そういうわけで、馬場、と呼ばれたようだ。 ひょっとすると、東海道から、西に伸びる、参道、馬が配備されたのかも。 江戸の昔、この商店街、馬が、多く、いたのかもしれない。 わからないけど。 …
東へ歩いていくとすぐに、都営浅草線日本橋駅。 都営浅草線車両に乗り込む。 泉岳寺駅で、京浜急行。 新馬場駅で下車。 都心の再開発地帯から、一気に、長閑な場所、という感じ。 北側は、すぐ、品川。 品川まで、再開発地帯かも、しれない。 ここらへんが、…
高田馬場駅から東西線。 日本橋駅で下車。 地上に出ると、東西に伸びる、永代通り。 通りの南側、東京日本橋タワーの工事現場がある。 日本橋の、北側で、再開発が、行われてきたが、今度は、南側。 あるいは、東京駅の、東側、ということか。 都心に、再開…
途中、北へ曲がり、そのまま、北へ。 青山通り、南側には、梅窓院。 創建は、江戸時代になって、しばらくしてから。 創建の地は、江戸崎藩下屋敷の中。当時は、移封され、違う藩になっていたが。 引き続き、青山氏の、下屋敷、ということだ。 玉窓院と、同じ…
墓地を、歩いていくと、いつしか、公園になる。 公園には、青山運動場。 青山霊園の南側の公園は、都立青山公園だが、北側、こちらは、区立青山公園。 いつできたのだろう。 新しいと思うが、わからない。 高度成長期、オリンピックの頃、だろうか。 それと…
西へ西へと、歩いていくと、いつしか、青山霊園。 周囲の寺院、寺町、公園、等々、含めて、青山霊園、といっていいかもしれないが。 整備されたのは、明治時代の初め頃。 おそらく、最初の、霊園かもしれない。 そもそも、それまで、墓地、といえば、寺院境…
しばらくすると、通りの南側には、龍泉寺。 創建は、江戸時代、初め頃。 創建の地は、今の、赤坂、一ツ木通りあたりか。 明治時代になり、この地に、移転してきている。 青山霊園が整備されたので、寺院も、移ってきたのかな。 青山霊園の寺町、ということか…
西へ歩いていくと、通りの北側には、玉窓寺。 創建は、江戸時代の初め頃。 もともとは、のちに、青山霊園になる、江戸崎藩下屋敷の中に、あったらしい。 しばらくして、赤坂、今の、赤坂御用地、青山通りの北側に、移っている。 明治時代になり、青山通りの…
南北に伸びる大通りを、渡って、西へ。 住宅地に入る。 青山霊園の北側、住宅地。 都心中心部とは、思えないような、感じだ。 たしかに、都心であっても、赤坂、六本木、麻布、など、住宅地がある。 ただ、そちらは、山の手、閑静な住宅地。 こちらにあるの…
青葉公園の西側には、南北に伸びる、大通り。 外苑東通りの、バイパスなのだろう。 その、西側は、青山霊園。 江戸時代は、江戸崎藩下屋敷。 当時、下屋敷の敷地、今の、青葉公園も、含んでいたようだ。 どうして、分かれたのだろう。 明治時代の地図を見る…
街中、細い道、西へ西へと、歩いて行く。 突き当たり、青葉公園。 開園したのは、終戦後、しばらくしてから。 青山霊園の、敷地の、一部、という感じ。 それほど、大きい、公園には、思えないのだが、実際、青山霊園まで、敷地は、続いている。 公園の中、さ…
北へ北へと歩いていくと、通りの、西側には、都営南青山一丁目アパート6号棟。 高度成長期の終わり頃、完成している。 他にも、都営団地棟、このあたり、いくつか、あったのだが、いつの間にか、なくなってしまった。 ひょっとすると、これが、最後の、都営…
西へ歩いていくと、南北に伸びる、外苑東通り。 尾根道になっている。 尾根への、上り坂が、乃木坂。 外苑東通り、江戸時代には、青山上水が、流れていた。 用水は、尾根道を、流れていた方が、あちこちに、配水できて、都合がいいのだろう。 青山上水、明治…
西へ歩いていくと、通りの南側には、桑田記念児童公園。 開園は、終戦後、しばらくしてから。 意外と、古い公園だ。 当時、南側には、まだ、米軍基地が、あった頃。 さらに、その前は、麻布駐屯地。 都心にある、軍都。 こうした、閑静な街並みになったのは…
南北に伸びる通りに出て、南へ。 南へ南へと、向かうと、東西に伸びる、乃木坂通り。 乃木坂通りを、西へ向かう。 西へ向かったところに、乃木坂。 大正時代に、乃木坂になったのだが、それ以前は、幽霊坂、という名前だったらしい。 木々が、鬱蒼としていて…
赤坂、山の手住宅地、南西へと、歩いていく。 しばらくすると、こんどは、下り坂。 稲荷坂。谷地に向かっているのだろう。 稲荷神社は、どこの、稲荷神社なのか、わからない。 江戸時代、付近に、円通院、という寺院があり、その境内に、稲荷神社が、あった…
西へ西へと、住宅地、歩いていく。 しばらくすると、通りの、南側に、末廣稲荷神社。 上り坂になっていて、坂の、中腹、という感じ。 創建は、江戸時代。 あたりは、高台、台地、ということで、大名屋敷、武家屋敷が、多かったようだ。 末廣稲荷神社、その中…
途中、西に曲がり、そのまま、西へ。 山の手住宅地、ではあるが、道路わきには、店も、多い。 店といっても、料亭、といった店。 住宅地にあっても、それほど、違和感はない。 やはり、こうした料亭、最盛期は、高度成長期なのだろうけど。 でも、華やかな店…
南へ南へ、歩いていくと、しばらくして、通りの西側には、赤坂不動尊。 創建は、江戸時代の直前。 直前、といっても、すでに、江戸の町、造成が、始まっていたようだ。 ただ、やはり、まだ、江戸時代ではなく、町の造成も、幕府が大々的に行う、というわけで…
青山通り、東に向かうと、しばらくして、南側、南北に伸びる、一ツ木通り。 このあたり、もっとも、賑やかな通り、かもしれない。 といっても、ずいぶん、閑散としている。 都心なので、休日は、閑散としてるには、違いないのだが、実際、繁華だったのは、高…
青山通りを、渡り、南側。 さらに南側には、上り坂、牛鳴坂。 牛が鳴くほどに、きつい坂、だったのかな。 上った先は、台地、山の手。 山の手には、再開発は、及ばず、ということで、都心再開発は、ここまで。 そもそも、昨今の、都心再開発は、集約であり、…
青山通り、西へ西へと、進んで行くと、通りの北側には、赤坂センタービル。 最近、完成した、高層オフィスビル。 まだまだ、都心の再開発、続いていくようだ。 もっとも、ここらへん、もう、西へは、拡大しないだろう。 豊川稲荷があるし、さらに、西側、迎…
高田馬場駅から東西線。 飯田橋駅で南北線に乗り換える。 永田町駅で下車。 地上に出ると、東西に伸びる青山通り、そして、首都高の高架。 いかにも、忙しない、都心、という感じだ。 そんな青山通り、西へ西へと、歩く。 坂を、下りきると、赤坂見附交差点…
南へ向かうと、しばらくして、東武伊勢崎線の、浅草駅ターミナル。 ターミナルビルとしては、昭和の初め頃、完成している。 当初から、松屋デパートが、入居し、ターミナルビルにして、商業ビル、という、今では、普通の、ビルだが、当時は、日本初、という…
南へ南へと、歩いていくと、しばらくして、東武伊勢崎線の高架。 東武線伊勢崎線が、浅草まで、伸びたのは、昭和の初め頃。 それまでは、隅田川の東岸が、始発駅だったのだが。 東京都心の拡大、ということか。 ターミナルとしての、浅草の、繁華な様子が、…
さらに、南へ歩いていくと、東側には、隅田川に架かる、言問橋。 完成したのは、昭和の初め頃。 東京都心の、拡大によるのだろう。 つまり、隅田川の東岸も、都心になり、橋が、架かったわけだ。 橋の名前、言問は、とくに、あたりの、地名ではない。 明治時…