2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧
住宅地の中、西へ、向かう。 途中、北へ伸びる道。 北へ伸びているのだが、すぐに、隅田川堤防で、行き止まりになっている。 隅田川の南岸なのだ。 川原や、河川敷は、ないのだろう。 隅田川、南岸、住宅地を、西へ西へと、向かう。 (2013年8月記)
小台橋の南側、小台橋みずき通りが、南へと、伸びている。 昭和の初め頃、小台橋の架橋とともに、整備されたと思われる。 ただ、おそらく、小台の渡しが、あるとすれば、道は、すでに、あったのだろう。 小台の渡しの北側、ずっと、向かえば、西新井大師。 …
宝蔵院を過ぎると、すぐに、南北に伸びる、通り。 通りの北側、隅田川に架かる、小台橋。 架けられたの、昭和の初め頃。 都市の拡大、郊外の誕生、ということで、作られたのだろう。 バブルの頃に、新しく、架け替えられている。 小台橋が、架かる以前は、小…
途中、北に曲がり、そのまま、北へ。 しばらくすると、通りの北側には、宝蔵院。 創建は、江戸時代の初め頃。 このあたり、開拓が始まった時期。 水田が拓かれ、道路が伸び、集落も作られてくる。 そして、寺社も、創建されるのだ。 再び、西へ、歩く。 (20…
西へ歩いていくと、しばらくして、通りの北側には、馬場子育稲荷神社。 創建は、わからないが、おそらく、江戸時代、あるいは、明治時代かもしれない。 当時は、あたり、一面、水田、あるいは、集落の、辻だったのかな。 暮らしの中、溶け込んでいたことだろ…
住宅地、西へ西へと、歩いていく。 しばらくすると、北側には、地蔵寺。 創建は、江戸時代。 上尾久村、だった頃。 江戸時代、開拓が進むと、尾久は、上尾久と、南東側の、下尾久に、分かれる。 もともと、尾久は、台地に麓から、隅田川南岸まで、だったらし…
江戸時代より前からあれば、江戸時代の終焉するとともに、運命を、共にする必要はない、と思える。 大林院から、北へ。しばらくして、西へ曲がり、そのまま、西へ。 住宅地の中、歩いていく。 内陸、大河の近く、住宅地。足立、荒川というと、そういう感じが…
八幡神社から、北へ。住宅地の中、歩いていく。 しばらくすると、大林院。 創建は、江戸時代になって、しばらくして。 創建の地は、三田。今の、田町駅北側、慶應義塾大学のあるあたり。 明治時代になって、この地に、移転してきている。 ただ、その場所には…
しばらく、西へ歩いていくと、通りの北側には、八幡神社。 創建は、鎌倉時代の終わり頃。 意外と、古い。 ただ、鎌倉街道は、ここから、ずっと、南側、台地の上を、通っており、なぜ、この地に、神社があるのか、わからない。 道がなければ、渡し場もないは…
とりあえず、明治時代は、長閑な、田園だったのだろう。 大正時代、昭和、と時代を経て、都心、郊外が、誕生地、あたりは、郊外として、市街地化されていく。 その折、ラジウム鉱泉が、発見されたらしい。 そういうわけで、近郊リゾート地、となったようだ。…
東西に伸びる通りを西に向かうと、すぐに、南に伸びる、熊野前商店街。 北側は、熊野渡し商店街なので、かつては、隅田川の渡し場への、道だったのかも。 明治時代の地図を見ると、一帯は、上尾久村、となっている。 北には、隅田川、あとは、周囲に広がる、…
南北に伸びる尾久橋通りと、東西に伸びる通りとの、交差点。 尾久橋通りには、陸橋もあり、立体交差になっている。 交通量も多く、交通の要衝、といったところか。 そういえば、北側、すぐに、隅田川、そして、荒川、となる。 隅田川と荒川の間に、高層住宅…
上野駅から山手線。 日暮里駅で下車。 そういえば、さっきの高層ビル建設現場、裏手の方、下町の飲食店、という感じだったのだが。一掃されてしまったようだ。 日暮里駅も、変わったなあ。 高層住宅が、建ち並んでいるし。 日暮里舎人ライナーへ。 昔は、バ…
昭和通りを北へ。 再び、上野駅東口駅前広場に戻る。 駅前広場の、上空には、ペデストリアンデッキ。 ペデストリアンデッキに上がると、西口の、台地と、同じ高さになる。 ペデストリアンデッキにより、台地の上、山の手と、低地、下町という、構図が、なく…
高田馬場駅から東西線。 茅場町駅で日比谷線に乗り換える。 上野駅で下車。 地上に出ると、JR上野駅東口駅前広場。 あいかわらず、賑わっている。 南北に伸びる、昭和通りを、南へ。 しばらくすると、通りの、東側には、上野イーストタワーの工事現場。 上野…
レトロな商店街を、南へ南へと、向かう。 商店街、尽きたあたりで、東へ曲がり、そのまま、東へ。 再び、交通量の多い、環状7号線。 今の時代に、戻ったような感覚。 だが、環状7号線も、高度成長期の開通したのだ。 近くのバス停で、バスに乗る。 甲州街道…
妙法寺山門から南側一帯は、妙法寺門前通り商店会。 南へと、歩いていく。 昭和の忘れ去られた街並み、商店街。 ノスタルジー。 高度成長期、安定期、バブル期、ずっと、変わらなかったのだろう。 都心に近い、住宅地なので、店が、なくなることはない。 と…
山門を出て、境内の外へ。 門前町が、広がる。 西側には、妙法寺商店街。 おそらく、かつては、東西に伸びる通りがあり、その通りの、北側に、妙法寺、通り沿いに、門前町、となっていたのだろう。 今は、店も、まばらだ。 盛んだったのは、バブル期までだろ…
仁王門から入ると、すぐに、祖師堂。 その奥に、本堂がある。 江戸名所図会を見ても、同じ。 昔と、変わらないのだ。 変わったとすれば、門前町だろうか。 明治時代初め頃の地図を見ると、門前町は、東へ伸びている。 今は、南側。 郊外化され、住宅地が広が…
こちらは、クルマから入るときの、入口らしい。 境内を、南へ。 南側にある、山門、仁王門から、再び、入る。 ずいぶんと、大きな寺院。 創建は、江戸時代の初め頃らしい。 大正時代、寺院が、集まり、寺町になっていくが、妙法寺の、寺勢によるところなのか…
墓地の中の細い道、東へ。来た道を引き返す。 環状7号線に戻り、再び、南へ。 おそらく、環状7号線が、開通した、高度成長期、あたりは、寺町、木々が、鬱蒼としていたのかもしれない。 その中を、環状7号線、縦断していったのだろう。 しばらく、南へ進み、…
北へ歩くと、道路の東側には、妙祝寺。 創建は、江戸時代の初め頃。 創建の地は、六本木、桜田町。今の、六本木ヒルズの南側。 大正時代になって、この地に、移転している。 明治時代の地図を見ると、やはり、載っている。 江戸時代、寺町の一画、だったよう…
環状7号線から西へ。 墓地の間の小道。 しばらくすると、南北に伸びる道。 道の西側には、修行寺。 創建は、江戸時代の初め頃。 創建の地は、江戸城の西側、麹町。 すぐに、赤坂一ツ木、今の、赤坂見附の南西側に、移転する。 その後、江戸の町拡大のため、…
環状7号線を南へ。 すぐに、通りの西側には、宗延寺。 もとは、小田原に、あったらしいが、江戸時代の初め頃、今の、上野駅南東側に、移転している。 江戸の町が、ひらかれた頃。 江戸時代、寺勢は、盛んだったようだ。 大正時代、都市、郊外の拡大に伴い、…
さらに、南へ歩くと、真盛寺。 創建は、江戸時代の初め頃。 創建の地は、湯島天神あたり、ということだ。 しばらくして、江戸の町、拡大に伴い、谷中清水町、今の、上野動物園北側に、移転している。 ただ、このあと、すぐに、寛永寺の拡張により、再び、移…
このあたり、高度成長期、街並みが形成されたようだ。 それまでは、長閑な、畑地だったのだろう。 そういえば、近くにある、丸ノ内線の開通も、同じ頃。 急速に、都心近くの郊外として、整備されたのかな。 さらに、南へ、歩いていくと、すぐに、通りの、西…
環状7号線を、南へ、歩く。 しばらくすると、西側に、都営高円寺アパート。 完成したのは、高度成長期。 環状7号線が、開通する、ちょっと前。 道路が、完成するということで、都営団地を、建てたのだろう。 当時の、写真を見ると、とりあえず、青梅街道周辺…
こうして、流れ落ちる滝を、見ていると、高度成長を達成した後の、豊かな時代を、思い出してしまう。 ということで、蚕糸の森公園から、外へ。 北へ向かい、青梅街道へ戻る。 青梅街道を、西へ向かう。 すぐに、南北に伸びる、環状7号線との交差点。 環状7号…
蚕糸の森公園に入り、西へ。 しばらくすると、広場。 広場の東側には、滝が、設えてある。 蚕糸の森公園についてだが、もとは、農林水産省の蚕糸試験場の敷地だったようだ。 明治時代の終わり頃、開設。 高度成長期を達成した、安定期、つくば市へ、移転。 …
日本橋駅へ戻り、銀座線。 銀座駅で、丸ノ内線に乗り換える。 新宿を過ぎ、さらに、西へ。 東高円寺駅で下車。 地上に出ると、東西に伸びる、青梅街道。 幅広、交通量の多い、幹線道路だ。 都心西側郊外の、主要幹線。 西に歩いていくと、道路南側には、蚕糸…