2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧
高層ビルの北側には、東へ伸びる道路。 下り坂、淡路坂。 江戸時代、南側に、鈴木淡路守屋敷が、あったことによるらしい。 淡路守、といっても、たとえば、淡路洲本藩の、上屋敷、というわけでもないようだ。 鈴木淡路守が、旗本なのか、何者か、わからない…
高田馬場駅で、東西線。 飯田橋駅で、総武線に乗り換える。 御茶ノ水駅で下車。 駅東側、改札を出る。 南北に伸びる通り、そして、北側、神田川に架かる、聖橋。 通りの東側には、御茶ノ水ソラシティ。 最近、完成した、高層オフィスビルだ。 もっとも、それ…
飛鳥山の麓、ひっそりとした、さくら新道を抜けると、もう、王子駅中央通路。 急に、開けた感じ。 まるで、いままで、異世界に、迷い込んでいたような、気がする。 そういえば、飲食店は、昭和の時代だし、飛鳥山公園は、明治時代、最初の、公園。 それどこ…
通りの名前は、さくら新道、ということらしいが、飲食店街そのものを、指すのかもしれない。 新道、といっても、戦後、間もなく、できたので、新しくはないのだが。 そういえば、江戸時代、石神井川沿い、飲食店が、多く、繁華だったらしい。 飛鳥山の、行楽…
斜面を、下りきると、JR京浜東北線沿いの、路地。 路地を、北へ歩いていくと、飲食店街。 戦後、王子駅近く、できた、商店街が、拡大してきた、ということだ。 とすると、戦後から、ずっと、変わっていないのかもしれない。 昭和の時代、取り残された一帯。 …
公園の東側、下り斜面に、なっている。 かつて、斜面、下ったところには、南へ、音無川が、流れていたらしい。 北側を、東へ、流れる、石神井川を、堰止め、溢れた水流を、南へ、流したのが、音無川。 江戸時代、作られた、用水。 石神井用水、という名前で…
旧渋沢邸の、北側は、本来の、公園、飛鳥山公園。 開園したのは、明治時代の、初め頃。 もっとも、古い、公園の、一つだ。 ただ、江戸時代には、すでに、桜の名所、公園のようには、なっていたらしい。 つまり、明治時代になって、公園を、整備したのではな…
園内には、青淵文庫の建物。 大正時代の終わり頃、完成したようだ。 ただ、渋沢邸そのものは、戦災に遭い、邸内、青淵文庫と、晩香廬、二つの建物しか、今は、残っていない。 渋沢邸が、残っていれば、もっと、レトロな、建物が、現存していたことだろう。 …
北へ、歩くと、いつしか、緑深い、公園。 飛鳥山公園の、敷地。 かつての、渋沢邸跡、ということだ。 明治時代初め頃から、昭和の初め頃にかけて、住んだらしい。 当初は、別荘だったようだ。 風光明媚な、飛鳥山、南麓、ということか。 別荘だとしても、本…
本郷通り、北へ北へと、歩いていくと、しばらくして、東へ。 住宅地、東へ、入っていくと、七社神社。 明治時代より以前、もともとは、ここから、南側の、無量寺に、あったようだ。 明治時代初め頃の、地図を、見ると、たしかに、今、七社神社のある場所には…
しばらくすると、通りの、中央分離帯に、一里塚跡。 日本橋から、二里目に、あたるそうだ。 ちなみに、一里目の、一里塚は、本郷追分、中山道との、分岐点に、あったらしい。 今の、東京大学近く、旧白山通りとの、分岐点。 三里目は、今の、赤羽駅西口、南…
南北に伸びる、本郷通りを、北へ向かう。 江戸時代は、日光御成街道、さらに、昔は、鎌倉街道。 そして、おそらく、もっと、この通り、古いと、思われる。 太古の、幹線道路だったのかも。 尾根道、台地を、通っている、道路。 大昔は、このような、場所を通…
鳥居を出ると、南北に伸びる、本郷通り。 本郷通りを、北へ。 平塚神社の、北側には、滝野川体育館、そして、滝野川公園。 おそらく、平塚城、平塚神社から、この、滝野川公園、一帯だったと、思われる。 もっとも、遺構らしきものは、何も、残っていないの…
参道を、西へ。 大宮の、氷川神社ほどではないにしろ、参道が、とても、長い。 昔は、他の、神社も、同じくらい、長かったのかもしれないけど。 ところで、平塚神社についてだが、この場所は、豊島氏の、築いた、平塚城跡、でもある。 平安時代の終わり頃、…
坂を上りきると、北側には、平塚神社。 参道の途中なのだが、入口があったので、入ってみる。 創建は、わからないが、おそらく、鎌倉時代より前、平安時代の、終わり頃か。 ただ、延喜式には、載っていないので、平安時代では、ないかもしれない。 いずれに…
西へ西へと、蝉坂を、上っていくと、南側には、城官寺。 創建は、わからない。 ひょっとすると、鎌倉時代、かもしれない。 寺院の名前も、江戸時代と、思われるが、その前は、どういう、名前だったのだろう。 安楽寺、かも。わからないが。 城官、というのも…
秋葉原駅から京浜東北線。 上中里駅で下車。 駅南側改札から、外へ。 すぐに、西に伸びる、上り坂、蝉坂。 蝉坂、というのは、興味深い、名前。 もともとは、攻め坂、から、きている、ということらしい。 その昔、大田道灌が、豊島氏居城を、攻めたことに、…
道路を挟んで北側、おそらく、戦前からあるような、銅板貼りの建物。 秋葉原界隈には、このような、古い建築物が、残っている。 再開発される場所もあれば、昔のままの、場所もあるのだ。 と思ったら、こちら側も、新しく、建て替わるらしい。 ただ、以前の…
高架の南側、通りの、西側には、JR神田万世橋ビル。 最近、完成した、高層オフィスビル。 かつて、交通博物館が、あった場所。 閉館前に、一回、入ったこと、あったな。 年末、あと、数分ぐらいで、終了、という時間。 土産に、絵葉書でも、買おうと思って、…
万世橋を渡ると、高架下、小さな電器店。 店そのものは、変わっているのだろうけど、ずっと前から、店がある。 そういえば、秋葉原、その昔は、市場、だったのだ。 神田川沿い、物資を、搬入しやすかったのだろう。 電気街も、電気製品の、市場みたいなもの…
高田馬場駅から東西線。 飯田橋駅で、総武線に乗り換える。 秋葉原駅で下車。 あいかわらず、賑やかだ。 駅西側に出ると、南北に伸びる、中央通り。 秋葉原の、メインストリート。 中央通りを、南へ。 すぐに、東に流れる、神田川。 神田川には、万世橋。 渡…
中根橋からは、再び、中板商店街。 中板橋の、北東側一帯が、中板商店街、ということだろう。 ひところと、比べれば、衰えたとはいえ、都内では、大きな、商店街の、一つかもしれない。 もともと、石神井川が、蛇行していて、一帯が、低湿地だったから、商店…
再び、中根橋。 石神井川を、臨む。 こうして見ると、川筋は、まっすぐなのだが。 本来は、かなり、蛇行していたようだ。 とくに、東武東上線あたりから、下流、東側。 水流が、澱んでいたのだろう。 そういうわけで、北耕地川が、どのあたりから、石神井川…
さらに、東へ東へと、歩いていくと、北側には、日曜寺。 創建は、江戸時代。 あたりが、開拓された頃。 そういえば、今、歩いている道、かつては、北耕地川、という用水が、流れていたらしい。 つまり、日曜寺は、北耕地川北側沿いに、あったわけだ。 とする…
途中、北へ曲がり、そのまま、住宅地の中、北へ北へと、歩いていく。 しばらくすると、氷川神社。 創建は、鎌倉時代が、終わった後、室町時代。 西側、それほど、遠くないところ、鎌倉街道が、南北に、伸びているので、本当だと、思われる。 当時、豊島氏が…
橋を、渡ると、商店街は、まだ、北東へと、伸びている。 双葉桜通り商店街。 双葉には、あまり、意味は、なさそうな感じ。 桜は、石神井川の、桜並木に、因んでいるのだろう。 ところで、桜は、根が強く張るので、土手などを、固めるために、植えたりするの…
実は、山中橋、石神井川に、多く、架かる、橋の、一つ、なのだが、実は、鎌倉街道の、橋でもある。 ただ、明治時代初め頃の、地図を、見ても、橋は、見当たらない。 おそらく、江戸時代にも、橋は、なかっただろう。 当時、もはや、鎌倉街道そのものも、なく…
しばらく、歩いていくと、またしても、石神井川に、架かる、橋。 山中橋、という。宅地化されているので、南北に伸びる、道路ごとに、橋が、あるのだろう。 こちらの橋の名前も、特定の住民の名前からだろうか。 こころみに、橋を、渡ってみると、石神井井川…
石神井川南岸を、東へ。 商店街は、石神井川沿いにも、広がっている。 中板通り商店街、というのは、一つの、通り沿い、だけではない。 中板橋駅の、北東側一帯、らしいのだ。 郊外、あるいは、都心であっても、消えてゆく、商店街が、多い中にあって、健闘…
北へ歩いていくと、東へ流れる、石神井川に架かる、久保田橋。 特定の住民の名前から、とられた、名前のようだが、明治時代初め頃の地図には、橋は、載っていない。 昭和の初め頃、あるいは、もっと、新しく、宅地化された頃だろうか。 話は変わるが、石神井…