2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧
吉良邸屋敷跡近くまで戻り、東へ。 両国小学校がある。 両国小学校の北西側には、芥川龍之介の碑。 幼少の頃、芥川龍之介が、暮らしていたのだそうだ。 家は、両国駅近く、京葉道路沿い、北側。 そこから、碑のある、両国小学校へ、通ったらしい。 明治時代…
京葉道路を、渡り、北へ向かう。 しばらくすると、両国駅。 帰ろうと思っていたのだが、まだ、訪れる場所があることを、思い出した。 再び、南へ。 両国駅、北側は、国技館があるが、南側は、飲食店が、多い。 総武線、下町、という感じ。 それは、錦糸町駅…
吉良邸は、討入りのちょっと前に、この地に、移転している。 そのことが、憶測を、生むようだが、この時期、旗本、大名の下屋敷も、多く、移転してきているので、江戸の町、拡大、ということだろう。 また、それは、寺社の、移転でも、明らかだ。 話は、変わ…
東西に伸びる道、東へ東へと、歩いていく。 しばらくすると、通りの北側には、吉良邸屋敷跡。 有名な、忠臣蔵討入りの舞台。 今は、すっかり、テーマパーク化され、けっこう、賑わっている。 ただ、他にも、江戸時代初期の運河、小名木川、江戸の町が、拡大…
一の橋通りに戻り、再び、北へ。 しばらくすると、通りの、東側には、大徳院。 創建は、江戸時代の初め頃。 創建の地は、今の、神田駅の東側。 ほどなくして、江戸の町、拡張に伴い、今の、住吉駅南西側に、移転している。 そして、さらに、この地に、移転、…
北へ歩くと、しばらくして、東西に伸びる、馬車通り。 明治時代の初め頃、今の、菊川駅の北側に、乗合馬車の会社があり、馬車通りは、その会社の、馬車が、通る、コースになっていたらしい。 ひとときは、利用者も、多く、盛況だったということだが、鉄道の…
東西に伸びる、竪川。その上空には、首都高小松川線の高架。 首都高小松川線は、高度成長期の終わり頃、開通している。 千葉方面との、主要幹線。 一方、竪川、江戸の町が、隅田川を越え、東側に、拡大した折の、運河。 このあたり、開拓が進んだのも、竪川…
北へ歩いていくと、しばらくして、竪川に、架かる、一之橋。 隅田川に、合流しているので、隅田川の方から、一番目の橋、ということだろう。 他にも、中川まで、六つの橋、つまり、六之橋まで、あったそうだ。 ただ、五之橋、六之橋は、往来が少なく、しばら…
西へ歩いていくと、通りの、北側には、江島杉山神社。 創建は、江戸時代。 鍼灸師杉山家屋敷内に、あったらしい。 江島は、鍼灸師杉山氏が、修行した、江ノ島のこと。 杉山は、鍼灸師杉山氏、のこと。 神奈川県に、多くある、杉山神社とは、直接、関係ない。…
北へ歩くと、東西に伸びる、通り。 通りの、北側には、弁天湯。 いちおう、まだ、残っているようだ。 おそらく、高度経済成長期に、開業したのだろう。 当時は、江東下町として、賑やかだったと思う。 いまは、ずいぶん、ひっそりとしている。 やがて、再開…
途中、西へ曲がり、そのまま、西へ、歩く。 しばらくすると、通りの南側には、初音森神社。 創建は、鎌倉時代の、終わり頃、らしい。 創建の地は、今の、東日本橋駅の北側。靖国通りのさらに北、神田川の南側。 すぐ、西側に、南北に伸びる、鎌倉街道が、通…
六間堀跡、平行する道路の、中央に、細い路地。 路地を、北へ北へと、歩いてみる。 六間堀、南側、東西に伸びる、小名木川と、北側、堅川の間を、結んでいる運河。 小名木川の方は、江戸の町が、造成される早々に、海岸に、堤を、築き、作られたらしい。 堅…
東西に伸びる通り、西へと、歩いていく。 清澄通りを、渡り、さらに、西へ。 しばらくすると、南北に伸びる、六間堀跡。 六間堀跡を、南へ向かう。 六間堀と、五間堀との、分岐点跡。 今は、小さな、公園があるばかりだ。 もはや、昔日の、面影はない。 六間…
東西に伸びる通りを、東へ。 すぐに、北側には、大正湯。 名前の通り、大正時代創業、ということなのか、わからない。 高度成長期より前から、あったらしいのだが。 さらに、その前のことまでは、辿れない。 高度成長期、もっとも、盛んだったのだろうけど。…
通りを挟んで、北側には、弥勒寺。 創建は、江戸時代の、初め頃。 創建の地は、小石川、伝通院の近く。 ほどなくして、今の、馬喰町駅北西側に、移転。 さらに、江戸の町、拡大に伴い、今の地に、移っている。 江戸名所図会に、この地に、移った跡の、弥勒寺…
北側、東西に伸びる通りを、西へ。 通りの南側には、龍光院。 もともとは、北側の、弥勒寺の、子院だったらしい。 弥勒寺の、境内にあったのだろう。 江戸名所図会を見ると、弥勒寺、五間堀の、北側にある。 龍光院は、五間堀跡の、北側。 とすると、龍光院…
北へ、歩く。 すぐに、通りの、東側、大久保稲荷神社。 創建は、はっきりしないが、江戸時代、と思われる。 もともと、旗本大久保家屋敷内にあったからだ。 ちなみに、旗本大久保家屋敷は、五間堀が、北東方向から、南東へ、向きを変えた、角の、南側にあっ…
北西へ、歩いていくと、道路は、南東方向へ。 かつての、五間堀が、この地点で、向きを、南東へ、変えていたから、道路も、そうなっているのだろう。 五間堀は、そのまま、南東へ、流れ、途中で、行き止まりになっていたらしい。 物資の、輸送、ということな…
勝どき駅から、再び、都営大江戸線。 森下駅で下車。 地上に出ると、さっきとは、大違い、江東下町の街並み。 南北に伸びる、清澄通りを、北へ。 しばらくすると、北西に伸びる、緑道。 五間堀公園、となっている。 江戸時代に、開削された、五間掘の、跡地…
交差点に戻り、晴海通りを、北へ。 再び、朝潮運河を、トリトンブリッジで、渡る。 勝どきへ。勝どき駅へ、戻るわけだが。 そういえば、晴海通りと、平行するように、南西側に、環状2号線が、伸びる予定になっている。 再開発も、そちらに、移っているようだ…
交差点、北東へ、曲がり、そのまま、北東へ。 しばらくすると、通りの、南東側、晴海フロント。 最近、完成した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら) この、高層ビル以外にも、北側には、高層住宅が、何棟か、工事中、となっている。 晴海運河に面した…
西武新宿線。中井駅で下車。 改札を出て、都営大江戸線ホームに向かう。 都営大江戸線の車両に乗り込み、勝どき駅。 地上に出ると、晴海通りと、清澄通りとの、交差点。 晴海通り、南東へ、向かう。 高層ビルが、建ち並び、まさに、再開発が、集中しているこ…
小竹トンネルの近くには、小竹向原駅の、入口がある。 住宅地、道路、そして、地下鉄。 三重になっているわけだ。 完成した時期は、高度成長を達成した後の、安定期。その、最後。 まさに、日本が、辿り着いて場所、という感じ。 そのあと、バブル期。そして…
要町通りを、北西に、歩いていくと、しばらくして、小竹トンネル。 高度成長を達成した後の安定期、あるいは、バブル期の直前に、開通している。 トンネル上部は、小学校の校庭。住宅地が広がる。 道路と、住宅地を、分離したのだろう。 豊かな時代ならでは…
要町通りに戻ると、一帯は、広範囲、道路工事中。 道路工事、といっても、拡幅されたり、新規に、道路が、開通したり、といったことではない。 工事をしているのは、地下なのだ。 地下には、有楽町線、および、副都心線への、地下鉄が、通っている。 そこへ…
しばらく、北西へ、歩いていくと、通りの南側、南へ、伸びる、緑道がある。 千川上水跡の、千川親水公園緑道。 開削されたのは、江戸時代。 玉川上水から、分流されている。 千川上水の完成により、このあたりも、開かれるようになったのだろう。 その後、昭…
南へ。要町通りに戻る。 再び、北西方向へ。 しばらくすると、通りの北側、千川駅前商店会。 当初は、要町三丁目商店街、だったそうだ。 高度成長を達成した後の、安定期、要町通りが、今のように、拡幅されたとき、要町三丁目商店街は、なくなっている。 と…
豊島長崎富士塚を境内に、擁するのは、富士浅間神社。 創建は、わかっていなものの、やはり、江戸時代だろう。 富士浅間神社は、豊島長崎富士塚と、セットで、建てられたからだ。 もともと、神社があって、その、境内に、富士塚が、築かれたわけではない。 …
しばらくして、北へ曲がり、住宅地の中、北へ向かう。 北へ北へと、歩いていくと、道路の、東側、神社の境内、豊島長崎富士塚。 築造されたのは、わからないが、江戸時代なのだろう。 江戸時代、各地に、富士塚が、築かれているからだ。 豊島長崎富士塚も、…
街中、北へ北へと、歩いていく。 しばらくすると、東西に上る、大通り。 池袋駅から伸びている、メインストリート。 高度成長までは、山手通りの、手前までだったのだが、その後、おそらく、高度成長を、成し遂げた後の、安定期、一気に、西に、伸びたのだろ…