2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧

中央線中野駅(中野ツインマークタワー)

中野駅南側、さらに、南へと、歩いていく。 しばらくすると、通りの、西側には、中野ツインマークタワー。 最近、完成した、高層住宅。(工事中はこちら) 駅前再開発、そして、都心に集中する再開発、ということか。 かくして、中野駅周辺は、様相が、一変…

中央線中野駅(中野五丁目 中野駅北口駅前広場東西連絡橋)

桜並木、中野通りを、南へ南へと、歩いていく。 東西に伸びる、早稲田通りを、越えると、中野繁華街。 相変わらず、賑やかだ。 さらに、南へ。 しばらくすると、中野駅北口駅前広場。 いつの間にか、北口から、西へ伸びる、歩道橋、中野駅北口駅前広場東西連…

西武新宿線新井薬師前駅(新井五丁目 中野通り 桜並木)

西武新宿線、新井薬師前駅で下車。 いつもは、商店街、南へと、歩くのだが、今回は、線路に沿って、西へ。 しばらくすると、南北に伸びる、中野通り。 先週は、新川崎駅南側、加瀬山の、斜面に、桜を、見たのだが、今週は、中野通りの、桜並木。 満開の桜、…

横須賀線新川崎駅(小倉 杉山神社)

住宅地、西へ、進んで行くと、杉山神社がある。 創建は、わかっていないが、かなり、古いようだ。 鎌倉時代、あるいは、その前の、平安時代、だろうか。 杉山神社についてだが、横浜、川崎、特に、河川下流部に、分布するらしい。 開拓のため、入植してきた…

横須賀線新川崎駅(小倉 新川崎創造の森公園)

横須賀線西側、南北に伸びる道路へ。 南へ歩く。 しばらくすると、東側には、新川崎創造の森公園。 新鶴見操車場、跡地利用の一環、だろうか。 あるいは、昨今の、駅前再開発、だろうか。 その両方、なのだろう。 西へ。 再び、住宅地の中へ、入っていく。 …

横須賀線新川崎駅(南加瀬一丁目 南加瀬貝塚)

加瀬山の南端、麓あたり、住宅地の中、南加瀬貝塚がある。 貝塚がある、ということは、その昔、ここらへんは、海岸だったわけだ。 多摩川流域が、陸地深く、入江になっていたのだろう。 そんな、太古の昔から、暮らしが、連綿と続いていたのかな。 それが、…

横須賀線新川崎駅(南加瀬一丁目 加瀬山第三号墳)

南へ南へと、向かうと、はたして、加瀬山第三号墳、という説明版。 残っている、古墳もあるらしい。 このように、丘陵地から、迫り出した、丘は、昔から、暮らしがあるようだ。 その、暮らしの跡として、古墳が、残っている。 ただ、この場所意外は、もう、…

横須賀線新川崎駅(南加瀬一丁目 加瀬山斜面の桜)

斜面には、咲き誇る、桜。 そういえば、動物園に来るときの、坂道にも、桜が、咲いていた。 いつの間にか、そんな、季節になっている。 日当たりのいい、丘の斜面は、暖かいので、桜が、早く咲いたのかもしれないが。 こんな風に、暖かだと、昔から、暮らし…

横須賀線新川崎駅(南加瀬一丁目 加瀬山から住宅地を臨む)

今は、夢見ヶ崎、となっているが、もともとは、加瀬山、といったらしい。 往時は、もっと、丘陵地は、広かったようだ。 江戸時代以降、麓が、拓かれる折、削られていったのだろう。 それでも、寺社が、配されていたので、全部、なくなる、ということは、なか…

横須賀線新川崎駅(南加瀬一丁目 天照皇大神神社)

北へ向かうと、再び、動物園、となる。 ロバがいたり、インコがいたり、平和な感じだ。 北へ北へと、歩いていくと、天照皇大神神社。 もっとも、新しそうな神社だが、実は、意外に、古い。 創建は、おそらく、鎌倉時代。 江戸名所図会の絵にも、載っている。…

横須賀線新川崎駅(北加瀬一丁目 浅間神社)

すぐ、北側には、浅間神社。 あたりの丘陵地帯、寺社が、多い。 浅間神社、創建は、江戸時代、ということだ。 開拓が、完成し、暮らしが、安定した頃、なのだろう。 このように、動物園と、一体になっているのは、興味深い。 さらに、北へ、向かう。 (2013…

横須賀線新川崎駅(北加瀬一丁目 熊野神社)

北側、歩いていくと、突然、熊野神社。 不思議な、感じだ。 動物園の中に、神社があるのか、あるいは、もともと、寺社の、境内だったのだが、その、敷地を、動物園に、利用しているのか。 後者のような、気がするけど。 創建は、江戸時代の前、戦国時代の頃…

横須賀線新川崎駅(北加瀬一丁目 動物園のレッサーパンダ)

しばらくすると、定番の、レッサーパンダ。 パンダという名前だが、パンダではない、などど、余計なこと、考えてしまう。 見たところ、どう考えても、そうなのだが。 ただ、そのように、考えることが、実は、楽しい、ということなのかもしれない。 だとする…

横須賀線新川崎駅(北加瀬一丁目 夢見ヶ崎動物公園)

動物園に、入ったのに、なかなか、動物園らしくなかったのだが、いよいよ、動物園らしくなってくる。 動物園の、開園は、高度成長期の、終わり頃。 よくやく、生活に、ゆとりができた時期だ。 近くには、新川崎駅も、完成し、宅地化も、進んだことだろう。 …

横須賀線新川崎駅(北加瀬一丁目 了源寺)

原っぱを過ぎると、いよいよ、動物園、というわけではない。 公園の北側には、了源寺。 創建は、わからないが、おそらく、鎌倉時代、と思われる。 鎌倉街道が、近くを、通っていたからだ。 少なくとも、鎌倉時代から、ひらけているのだろう。 他にも、このあ…

横須賀線新川崎駅(北加瀬一丁目 夢見ヶ崎公園)

さて、いよいよ、動物園に入る。 しかし、入場料などといったものは、ない。 ないので、そのまま、入れてしまう。 ただ、入ると、すぐ、動物がいるわけでもないのだ。 その先は、夢見ヶ崎公園、原っぱが、広がっている。 動物園は、ずっと、北側。 以前、来…

横須賀線新川崎駅(北加瀬一丁目 夢見ヶ崎動物公園入口)

丘の上、動物園の入口がある。 来るのは、もう、三回目ぐらいだろうか。 最初は、台風のときだったな。 特に、珍しい動物が、いるわけでもない、小さな、動物園だけど。 ただ、来れば、それなりに、面白く感じる。 動物が、飼われているということは、なにか…

横須賀線新川崎駅(北加瀬一丁目 住宅地を見下ろす坂道)

たしか、以前、訪れたとき、このまま、北へ北へと、歩いていくと、動物園があったと、記憶している。 前を歩く、カップルも、どうやら、動物園を、目指しているらしい。 と、思ったら、引きかえしてきた。 どうしたのだろうと、思って、行ってみると、はたし…

横須賀線新川崎駅(北加瀬一丁目 住宅地)

途中、西へ曲がり、住宅地の中へ、入っていく。 郊外にあるような、住宅地だ。 明治時代初め頃の地図を、見ると、一面、田圃。 昭和の初め頃に、広大な、操車場が、できても、景観は、変わらなかっただろう。 急速に、変わり始めたのは、やはり、高度成長を…

横須賀線新川崎駅(北加瀬一丁目 新川崎駅近くの新しいマンション群

高度成長を達成したので、都心近郊には、操車場は、いらなくなったのだろう。 これは、どこでも、同じことだ。 そうした場所は、再開発の、対象となる。 それが、バブルの崩壊まで、続いていくわけだが。 などと、昔のことを、思い出しながら、鹿島田跨線橋…

横須賀線新川崎駅(新川崎駅駅舎)

鹿島田跨線橋は、新川崎駅東側に、広がる、新鶴見操車場の、上に、架かっている。 新鶴見操車場、昭和の初め頃、完成しているので、鹿島田跨線橋も、その頃、作られたのだろう。 ただ、その後、架け替えられている、ということだ。 さらに、今も、新しく、工…

横須賀線新川崎駅(鹿島田 鹿島田跨線橋)

南へ、南へと、歩いていく。 その先には、新川崎駅。 一つの駅としては、お互い、離れているのだろうか。 離れていても、蒲田駅、京急蒲田駅、というのもある。 そういえば、一方の、新川崎駅が、開業したのは、高度成長を達成した後、安定期の頃だ。 鹿島田…

南武線鹿島田駅(鹿島田 鹿島田駅前商店会)

巨大な高層住宅、そのかたわらには、今も、昔からの、商店街が、残る。 京浜臨海部としての、川崎から、ほど近い、商店街だったのだろう。 高度成長期あたりが、もっとも、賑やかだったのかな。 いつしか、閑静な山の手の、川崎が、勢力を増し、いつしか、鹿…

南武線鹿島田駅(パークタワー新川崎工事現場)

中央線で立川駅。 立川駅で、南武線に乗り換える。 南武線に乗るのも、ひさしぶりだ。 多摩川を越え、列車は、川崎へと、進んでいく。 昔は、田園、という景観だったが、今は、整備された、郊外。 ずいぶんと、変わるものだ。 登戸、溝の口を過ぎ、高層ビル…

京王線明大前駅(京王線明大前駅改札)

賑やかな、商店街、南へ向かうと、京王線明大前駅。 京王井の頭線の駅でもある。 もともとは、陸軍省和泉新田火薬庫が、近くにあったので、火薬庫前駅だったが、しばらくして、やはり、駅名として、相応しくない、と考えたのだろうか、松原駅となっている。 …

京王線明大前駅(松原一丁目 明大前商店街)

甲州街道を渡り、南側へ。 すぐに、明大前商店街、となる。 明治大学和泉校舎があるためか、なかなか、賑やかだ。 開業したの、大正時代。 明治大学和泉校舎が、完成する前。 当時は、火薬庫前駅、という名前。 和泉校舎が完成する前は、火薬庫だったので、…

京王線明大前駅(永福一丁目 甲州街道)

玉川上水跡、ここからは、甲州街道の北側、道路沿いに、伸びているようだ。 その先、さらに、辿ろうとしても、もう、日が落ちかけている。 帰るしかない。 次、玉川上水跡を、訪ねるとすれば、ここらへんから、ということかな。 そちらの方、見てみると、歩…

京王線明大前駅(永福一丁目 明治大学和泉校舎)

甲州街道の、北側には、明治大学和泉校舎の、敷地が広がる。 明大橋は、甲州街道と、明治大学和泉校舎の、間を、流れる、玉川上水に、架かっていたのだろう。 ちなみに、明治大学和泉校舎が、完成したのは、昭和の初め頃。 京王井の頭線の、開通と、同じ頃だ…

京王線明大前駅(永福一丁目 明大橋跡)

京王井の頭線は、昭和の初め頃、開通している。 ということは、それ以前、ここには、玉川上水の、流れがあった、ということだ。 実際、明治時代、初め頃の、地図を、見ても、そうなっている。 ところで、京王井の頭線の、通っている、部分、よく見てみると、…

京王線明大前駅(永福一丁目 玉川上水緑道)

巨大な、鉄管の中を、玉川上水の水が、流れている。 尾根の上、流れている玉川上水、そこを、掘割が、横切るとすれば、こうなるしかないのだろう。 あるいは、トンネル、という方法もある。 ただ、トンネルよりも、掘割の方が、工事しやすいのかもしれない。…