2016-05-01から1ヶ月間の記事一覧
南西へ歩いていくと、しばらくして、通りの南側には、天眼寺。 もとは、牛込、少林庵、という寺院だったが、江戸時代、ほどなくして、江戸の街、拡張のため、この地に、移転してきている。 牛込、少林庵については、まったく、わからない。 おそらく、江戸時…
北へ歩いていくと、しばらくして、北東へ伸びる、言問通り。 通りの、北側には、玉林寺。 創建は、江戸時代直前。 江戸時代への画期、といえる。 このあたり、開拓が、始まった、ということか。 不忍池、当時は、北側に、かなり、広がっていたらしく、ひょっ…
北へと、歩いていくと、路地の中、六龍鉱泉、という銭湯。 創業は、昭和の初め頃。 あたりが、宅地化された時期だろうか。 かなり、古い、銭湯だ。 ひょっとして、水月旅館が、温泉を、掘削しよう、などと、思いついたのは、六龍鉱泉の、ことがあっての、こ…
北へ、しばらく、歩いていくと、通りの、西側には、鴎外温泉。 鴎外、というのは、森鴎外のこと。 森鴎外が、住んでいた、住居に、由来するらしい。 もっとも、外観からは、どう、由来するのか、よくわからないけど。 森鴎外の居宅跡、更地に、ビルを、建て…
再び、北へと、進む。 景観は、深山幽谷、という感じ。 木々が、鬱蒼と、茂っている。 といっても、実は、上野動物園なのだが。 しばらくすると、上空、上野動物園モノレールと、イソップ橋。 高度成長期の頃、モノレールは、開通。数年後に、イソップ橋も、…
しばらくすると、通りの東側、鳥居がある。 上野東照宮不忍口鳥居。 鳥居自体は、もともと、江戸城紅葉山東照宮に、あったものを、移築したものらしい。 明治時代になり、江戸城紅葉山東照宮は、廃棄されたのだが、鳥居が、残され、この場所に、移されたのだ…
しばらくすると、通りの、東側には、上野精養軒。 創業は、明治時代初め頃。 もとは、築地に、あったらしいのだが、数年後、支店として、上野、不忍池に、開業している。 上野公園が、開園するのと、同じ頃だ。 アーバンリゾート、という感じだったのだろう…
不忍池東岸、南北に伸びる道を、北へ。 不忍池西岸、不忍通りなら、何度も、通ったことはあるが、こちら側は、あまり、来たことはない。 ひょっとすると、初めて、通るのかも。 江戸時代は、寛永寺の境内。 いかに、広大だったか、ということがわかる。 また…
南の方を見やると、不忍池の、向こうには、小さく、湯島の街並み。 ますます、原風景、という感じ。 湿地帯の、多かった、関東平野、太古の昔、こういう、景観だったのだろう。 そういえば、不忍池、かつては、今よりも、大きかったようだ。 北側に、広がっ…
境内には、碑が、多いのだが、ふぐ供養碑、というのもある。 他にも、いろいろと、碑が、ある。 なぜ、こんなに、碑が多いのだろう。 前述したように、所有権が、曖昧なため、碑も、建て放題だった、可能性もある。 つまり、誰の許可も、受けずに、建てられ…
八角形の建物が、あまりに、有名なので、こちらが、弁天堂、かと思ってしまう。 もちろん、そうなのだが、あえていえば、八角形の建物は、本堂、ということかもしれない。 その手前にある、門のような、建物も、含めて、弁天堂、ということだろう。 神社でい…
弁天島には、どういうわけか、幾多の、碑がある。 その中、幕末剣豪の碑。 幕末、ということは、江戸時代ではないのだろう。 そういえば、江戸時代は、寛永寺の、境内。 明治時代になって、一帯は、上野恩賜公園になったのだ。 ということは、東京都、当時の…
不忍池の中央には、弁天島。 弁天堂がある。 創建は、江戸時代の、初め頃。 寛永寺とともに、建てられた。 弁天堂だけではなく、島ごと、作られたのだ。もとから、島があったわけではない。 もともと、島があって、そこに、弁天堂が、建てられたのであれば、…
不忍池、ふと、見ると、魚が、たくさん、いる。 都心にしては、水質がいいのだろうか。 都心になるよりも前、昔も、このように、たくさん、魚がいたことだろう。 そういえば、不忍池、いつ、できたのだろう。 以前は、王子あたりから、石神井川が、流れてい…
しばらくすると、弁天島。 池、中央の島だが、今は、ほぼ、池の縁と、つながっている。 つながったのは、昭和の初め頃。 ボート池ができて、ボート遊びが出来るように、なったときだが。 それ以前は、橋が架かっていたらしい。 江戸時代から、橋はあったよう…
北へ歩いていくと、しばらくして、蓮のない、水面。 水遊びするボートが、浮かぶ。 蓮が、覆っていると、さすがに、ボートは、無理、なのだろう。 ボートが、浮かぶのは、ボート池。 不忍池は、三つに、分けられているのだが、西側の、池、ボート池は、蓮も…
北へ歩いていくと、すぐに、上野公園、不忍池。 水面は、一面、蓮に覆われている。 神秘的な、光景。 一面、緑なのに、その下、池なので、何も、いない。 ただただ、蓮が、生い茂るばかり。 ひょっとすると、太古の昔、原風景、なのかも。 関東平野、低湿地…
西へ。坂を、上っていく。 再び、御茶ノ水駅。 今度は、千代田線。 そういえば、このあいだも、千代田線に、乗ったのだっけ。 もっとも、今回は、代々木上原方面ではなく、西日暮里方面。 湯島駅で下車。 地上に出ると、南北に伸びる通り。 北へ向かう。 突…
高田馬場駅から、東西線。 飯田橋駅で、総武線に乗り換える。 御茶ノ水駅で下車。 このあいだと、同じだ。 東側の改札。聖橋の袂。 南北に伸びる通り、南へ。 坂を、下っていく。 途中、東へ。こちらも、坂道。 坂を、下っていく。 下りきると、ワテラスの高…
踏切、西側には、かつての、下北沢駅の駅舎。 取り壊される寸前、というところか。 それほど、乗り降りしたことはないのだけど、ホームが、狭かったように、記憶している。 それも、今は、昔、思い出の彼方。 そういえば、駅周辺、これから、どうなるのだろ…
かつての、小田急線踏切。 昔は、間段ないくらいに、小田急線の、車両が、通過していったのか。 今、いや、もう、ずっと、将来、列車が、通ることはない。 静かになった。 道路になるのか、駅前広場になるのか、メインストリートになるのか。 時代は、動いて…
街中に、再開発の予定が、貼り出されてあった。 実際の、計画かどうか、定かではないのだが。 計画は、以下のようであるらしい。 まず、下北沢の、北側を、東西に、道路が、伸びる。 その、道路と、新設された、駅前広場が、新しい道路で、結ばれる。 といっ…
北へ北へと、歩いていくと、今までなら、小田急線下北沢駅なのだが、地下化されて、すでに、存在しない。 そのかわりに、京王井の頭線下北沢駅。 駅舎は、橋上にあるので、よく目立つ。 目立つのは、いいのだが、これでは、小田急線への、乗り換えが、不便に…
通り、ではなくて、もはや、商店街。 下北沢南口商店街、となる。 高度成長期、設立された、ということだ。 おそらく、それ以前から、商店は、集まっていたのだろうけど、整備されたのが、この頃、なのだろう。 そして、安定期から、バブルの頃が、もっとも…
郊外、ニュータウンにあるような、よく、整備された、通り。 どこまで、伸びていくのだろうと、思っていたら、ほどなくして、細い通りに、なっていく。 そういえば、バブルの頃、下北沢駅周辺の、再開発の話、あったような気がする。 それが、この通りなのだ…
北へ向かうと、しばらくして、再び、代沢三差路。 茶沢通りから、北西方向に、もう一つ、通りが、伸びている。 いつ頃、開通したのか、わからないが、古くはないだろう。 おそらく、高度成長期、あたりか。 それとも、その後の、安定期、バブル期、だろうか…
さらに、東へ歩いていくと、通りの、北側には、北沢八幡神社。 創建は、室町時代、戦国時代に入る頃。 ちょっと、離れるが、南西側、豪徳寺、世田谷城を、本拠としていた、吉良氏が、建てたらしい。 江戸の、大田道灌と、吉良氏が、同盟を、結んでいた時期だ…
細い、住宅地の道、東へ歩いていくと、北側には、森巌寺。 創建は、江戸時代の、初め頃。 あたりが、開拓された時期だろう。 話は、変わるが、ちょっと、離れたところ、南西側、北沢川に、鎌倉橋、という、橋がある。さらに、通りの名前は、鎌倉通り。 いか…
茶沢通り、南へ歩き、途中、東へ。 住宅地の中、東へ向かう。 世田谷、いかにも、閑静な、住宅地。 こんな、場所に、住んでいたら、人生観、変わってしまうな。 想像も、つかない。 郊外、山の手、都心。 都心と、直結していながら、限りなく、都心とは、遠…
南へ南へと、歩いていくと、しばらくして、代沢三差路。 茶沢通りから、北西に、通りが、伸び、三差路、となっている。 代沢三差路の、代沢は、地名で、代田の「代」と、北沢の「沢」から、ということらしい。 ただ、もととなった、代田の、由来は、わかって…