2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧
東伏見駅南口駅前広場。新しい感じがする。 開業したのは、昭和の初め頃。 都心と郊外が、誕生した時期だ。 早稲田大学キャンパスを誘致し、伏見稲荷を誘致し、発展していく、郊外の街並み。 そして、バブル直前、アイスアリーナ。 でも、そこまでか。 西武…
西武新宿線東伏見駅で下車。 とくに、何もない。 降りるのは、台風が来て、列車が、立ち往生したときぐらいだろうか。 急行なので、東伏見駅は、停まらないはずなのだが、そのときは、緊急で、停まったのだ。 台風をやり過ごしたわけだが、結局、そのあと、…
南へ歩いていくと、しばらくして、南北線東大前駅。 南北線、といえば、新しい路線。 と思ったが、開業したのは、バブルの頃。 いつの間にか、もう、そんなになる。 山手線では、駒込駅が、接続駅。駒込駅から、王子駅まで、ずいぶん、楽になったのものだ。 …
南へ進むと、すぐに、通りの西側には、西善寺。 創建は、江戸時代の初め頃。 創建の地は、今の、東京大学南側あたり。 しばらくして、この地に、移っている。 江戸の町、拡大による、ということか。 すでに、日光御成街道は、整備されていた頃。 寛永寺西側…
南へ歩いていくと、すぐに、通りの東側には、浩妙寺。 創建は、江戸時代の初め頃。 この地に、創建されている。 正行寺が、移転したきた時期と、同じ頃。 やはり、寺町が、形成されたようだ。 本郷通りを、再び、南へ、歩く。 (2013年8月記)
しばらくすると、通りの西側には、正行寺。 創建は、江戸時代の初め頃。 創建の地は、湯島。 ほどなくして、この地に、移転してきている。 日光御成街道が開通するよりも、早いのだが、それ以前から、道は、あったのだろう。 奥州街道、ということかもしれな…
西へ西へと歩いていくと、しばらくして、南北に伸びる本郷通り。 本郷通りを、南へ向かう。 本郷通り、江戸時代の、日光御成街道、ということらしい。 この先、東側、東京大学、となるのだが、そのあたりで、中山道が、分岐している。 正確には、中山道から…
根津神社の北側に出る。 北側には、東西に伸びる、根津裏門坂通り。 通りを、西へ。 そういえば、根津神社の旧地、千駄木駅の西側、団子坂、北側であるらしい。 今は、本郷図書館が建っている。 江戸名所図会を見ると、それは、本当だと思える。 さらに、最…
楼門を抜け、社殿の西側。 池の斜面には、乙女稲荷神社。 江戸名所図会にも、社殿西側、いくつか、稲荷神社が、載っている。 そのなかの一つ、ということか。 池に、迫り出すような、感じ。 日本庭園としては、美しい景観だ。 そういえば、根津神社の旧地、…
表参道から入り、神橋。 神橋の西側斜面には、一面のつつじ。 もともとは、徳川家、山手別邸だった場所。 根津神社が、移転してくる前から、庭園だったようだ。 その庭園を、残したのだろう。 神橋を渡り、さらに、北へ。 楼門となる。 (2013年8月記)
細い道の北側は、根津神社。 創建は、いつか、わからない。 ただ、相当古いらしいのは、確かだ。 鎌倉時代の前、平安時代、といったところか。 創建の地は、この場所ではない。 この場所に、移ってきたのは、江戸時代。 創建の地は、団子坂の北側、というこ…
東西に伸びる、言問通りを渡り、さらに、北へ。 再び、細い道を、進んでいく。 山の手住宅地には、幅広の道は、ないわけで、まさに、その通り、ということか。 都心中心部、麻布、青山、麹町、といった、山の手とは、雰囲気が違うが、それでも、山の手なのだ…
細い道、北へ北へと、歩いていくと、東側には、妙極院。 創建は、江戸時代。 このあたり、すでに、寺町になってから。 寛永寺の西側から、谷中にかけて広がる、寺町。 台地の上、かつての街道の通っていた場所。 細い道、再び、北へ北へと、向かう。 (2013…
細い道、北へ歩くと、通りの東側には、休昌院。 創建は、江戸時代になって、しばらくしてから。 創建の地は、本郷丸山、今の、東京大学西側あたり。 創建したものの、すぐに、江戸の町、拡張のため、この地に、移ってきている。 寛永寺西側、不忍池北西側、…
途中、西へ。 細い道、路地に入っていく。 しばらくすると、忠綱寺。 創建は、江戸時代の初め頃。 今の、水道場駅近くだろうか。 ほどなくして、この地に、移転してきている。 寛永寺の西側、不忍池北西側、寺町の一画、ということかな。 南北に伸びる、細い…
不忍通り、不忍池の西側を、通るので、その名前を、冠したのだろう。 不忍通りは、そのまま、北に向かうが、カーブを描き、向きを、西へと、変えていく。 曲がり続け、やがて、南向きへ。 早稲田あたりまで。 いつの間にか、環状4号線になっている。 逆に言…
高田馬場から山手線。 西日暮里で千代田線に乗り換える。 根津駅で下車。 地上に出ると、南北に伸びる不忍通り。 不忍通りを、南へ。 しばらくすると、通りの西側には、シティタワー上野池之端。 最近、完成した、高層住宅。 都心の、再開発は、まだまだ、続…
南へ歩いていくと、再び、東西に伸びる通り。 通りの中央には、路面電車、荒川線。 このあたり、大正時代、開通したようだ。 その後、乗客増を見込んで、あらかわ遊園の設立にも、関与したらしい。 アーバンリゾート地の開発。 王子、飛鳥山を起点にしている…
西へ西へと、歩き、途中、南へ。 住宅地の中、南へ、進む。 しばらくすると、小学校。 開校したのは、昭和の時代。高度成長期の前、終戦後。 都心近郊の住宅地、ということで、小学校が、作られたのだろうか。 とすると、このあたり、最盛期は、高度成長期、…
小台橋、江戸時代の、小台の渡しのあったあたり、神社や、寺院が、多かったのだが。 それだけ、昔から、暮らしがあった、ということだろう。 江戸時代、さらには、ひょっとして、鎌倉時代の終わり頃まで、遡ることができるかもしれない。 そうした地域から、…
住宅地の中、西へ歩いていくと、再び、煉瓦。 今度は、建物。 よほど、煉瓦の生産地、ということが、影響を、持っていたのだろう。 だが、これほどに、盛んだった、煉瓦の生産、工場、今は、もう、なくなっている。 煉瓦塀や、煉瓦の建物が残るのみ。 その跡…
船方神社の西側には、延命寺。 創建は、やはり、鎌倉時代の終わり頃。 ただ、創建の地は、船方神社の東側、今の、あらかわ遊園のある場所だったらしい。 明治時代初め頃の地図を見ると、すでに、船方神社の西側にある。 とすると、江戸時代も、今の場所の、…
あらかわ遊園西側に沿って、北へ。 しばらくすると、船方神社。 創建は、まったく、わかっていない。 江戸時代、あたりが、開拓されるよりも前に、あったかもしれない。 もし、そうなら、近くの、八幡神社と同じ、鎌倉時代の終わり頃、ということも、あり得…
煉瓦工場から、娯楽施設へ。 そこへ、まるで、呼応するかのごとく、ラジウム鉱泉、である。 娯楽施設、湯治場。 まさに、アーバンリゾート。 都心に近いし、川べり、というのもいい。 昭和の初め頃は、かなり、賑やかだったようだ。 今は、その面影はない。 …
おそらく、銀座煉瓦街の煉瓦、この地で、生産された煉瓦なのかもしれない。 明治時代、都市街並みを、形づくっていったのだろう。 ただ、大正時代から昭和、さらに、都市化が進み、郊外が誕生すると、煉瓦は、いらなくなってくる。 煉瓦が、いらなくなってく…
住宅地の中、延々と、煉瓦塀が、続く。 この煉瓦塀は、かつて、この場所にあった、広大な、煉瓦工場の痕跡、ということだ。 隅田川土手の土が、煉瓦の原料として、最適だったらしい。 ということで、明治時代になると、煉瓦工場ができはじめる。 原料として…
明治時代の地図を見ても、やはり、川原、河川敷はない。 北側に、広がっているようだ。 隅田川の流れが、そのようになっていたのだろう。 その後、北側には、荒川が、開削されることになる。 もともと、川原、河川敷が、あったからかな。 などと、考えながら…