2016-10-02 日暮里舎人ライナー熊野前駅(西尾久六丁目 住宅地に伸びる煉瓦塀) 住宅地の中、延々と、煉瓦塀が、続く。 この煉瓦塀は、かつて、この場所にあった、広大な、煉瓦工場の痕跡、ということだ。 隅田川土手の土が、煉瓦の原料として、最適だったらしい。 ということで、明治時代になると、煉瓦工場ができはじめる。 原料としての土、ということもあるが、隅田川を下れば、都心に、すぐ、輸送できる、ということも、あったのだろう。 ただ、原料には、限界がある。いつかは、枯渇してしまうのだ。 そういうわけで、大正時代になると、煉瓦工場は、衰退していく。 (2013年8月記)