2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧
江戸名所図会によると、東覚寺、八幡神社の前に、道が、描かれている。 とすると、今、新しく、道路が、開通するとすれば、江戸時代と、同じになる、ということかな。 ところで、昔、バブルの頃だろうか、実は、八幡神社を、訪れている。 そのとき、新しい道…
東覚寺の、すぐ、東脇には、北へと、参道。 その先、八幡神社がある。 創建は、鎌倉時代。 江戸時代は、あたり、田園地帯になるような、開拓だったのだが、それ以前、鎌倉時代は、別の、開拓が、行われたようだ。 なんだったか、わからないけど。 とりあえず…
通りの西側には、東覚寺。 創建は、江戸時代の前、室町時代。 創建の地は、今の、秋葉原の南側あたりだったらしい。 当時、南側には、北東に伸びる、鎌倉街道が、伸びていたようだ。 あたりは、それなりに、拓けていたのだろう。 その後、いったん、現在の鶯…
そういえば、谷田川、というのは、たぶん、西日暮里駅近くまで、なのかもしれない。 谷田川は、そこから、北東側に、排水路が、伸びていたのだ。 名前は、谷田川排水路。 天然の河川ではないものの、いちおう、谷田川は、排水路になり、もう一方の、南への、…
賑やかな、よみせ通り、歩いていくと、徐々に、静かになり、やがて、普通の、住宅地の、道路となる。 そして、道路の名前も、いつの間にか、谷田川通り、と変更。 もともとの、川の名前が、藍染川から、谷田川へ、変わったことによるのだろう。 川の名前がい…
南北に伸びる、不忍通りを越え、東へ。 再び、藍染川跡、よみせ通り。 北へと、歩いていく。 住宅地の道なのだが、次第に、店が、並ぶようになり、賑やかになってきた。 昔から、残っている、店もあれば、今風の、店もある。 日暮里が、もう、近いのかな。 …
藍染川跡の道路から、西へ。 不忍通りを、越え、さらに、西へ。住宅地に、入る。 西側は、台地への、斜面に、なっているようだ。 すぐに、鬱蒼とした、森。 須藤公園、となっている。 江戸時代は、加賀藩の支藩、大聖寺藩の、屋敷だったらしい。 庭園になっ…
くねくねとした細い道、すっかり、住宅地の道、となっている。 ご多分に漏れず、ということか。 おそらく、沿道に、店が、並んでいたのは、高度成長期まで。 駅から、遠い、この部分は、住宅地に、埋もれてしまったのだろう。 残りは、テーマパークとして、…
このあたり、変わらないのは、いちおう、山の手、だからかな。 それに、観光地、というほどでもないが、テーマパーク化されている、ということもある。 東側、住宅地の中へ。 すぐに、南北に伸びる、くねくねとした、細い道。 よみせ通り、というらしい。 よ…
もっとも、パレスホテルなんて、行かないし、関係ないし。 思い出があるとしたら、バブルの頃だったか、タクシー乗ったら、なぜか、パレスホテルで、降ろされた、ということがあったな。 運転手、聞き違ったふりして、まったく、動かない。 仕方なく、別の、…
パレスビルの南側には、パレスホテル東京。 新しく完成した、高層ホテル棟。 もとは、高層ビルではない、パレスホテルが、あったわけだが。 ところで、パレスホテル東京は、高度成長期、開業。 昭和、日本を、代表する、ホテル、だったのだろう。 その、ホテ…
高度成長期から、その後の、安定期にかけて、昭和の、オフィスビル群は、完成したわけだが。 大手町、丸の内。 やや高めの、オフィスビルが、並び建つ。 完成した、ビル群、という感じだったな。 バブルの頃も、ほとんど、変わらなかったし。 そんな大手町、…
高田馬場駅から東西線。 竹橋駅で下車。 地上に出ると、内堀通り。 西側には、大手濠、東側には、大手町のオフィスビル群。 内堀通りを、南へと、歩いていく。 東側、通り沿い、気象庁があり、消防庁本部。 消防庁の、さらに、東側には、新しく、建てられた…
再び、鮫川流路跡を、遡る。 坂を、上ると、また、尾根道、新宿通り。 結局、源泉は、見つからなかった。 ところで、そういえば、さっき、訪れた、法蔵寺、江戸時代初期の、火葬場に、建てられたそうだ。 とすると、火葬場は、その後、鮫川の、谷底へと、移…
鮫川の源泉を探しているのだが、結局、見つからず。 新宿通りは、尾根道なので、あるとすれば、そこから、南側斜面。 さっき、訪れた、法蔵寺境内には、弁財天が、あったかもしれない。弁才天は、泉の、畔に、あったりするので、あるいは、法蔵寺境内なのか…
鮫川流路跡、くねくねと、曲がり始め、上り坂は、徐々に、急になってくる。 そして、ぐっと、北に、向きを、変更。 その先には、新宿通り。 鮫川の、源泉に、かなり、近いと思う。 そんな、鮫川流路跡なのだが、東側には、法蔵寺。 創建は、江戸時代直前。 …
鮫川流路跡は、だんだん、上り坂になり、ぐっと、カーブを、描くようにも、なってくる。 水源地に、近い、ということか。 北側の、斜面を、上っていくと、真英寺。 創建は、やはり、江戸時代の初め頃。 創建の地は、麹町、貝塚。 今の、平河天神あたりかな。…
坂を上がっていくと、開けた場所。 台地の上には、須賀神社。 須賀神社も、もとは、麹町、清水谷に、あったそうだ。 江戸時代になって、しばらくして、この地に、移ってきている。 ちなみに、江戸名所図会では、四谷牛頭天王社、という名前。 挿絵には、石段…
鮫川流路跡から南西側へ。 またしても、上り斜面。 斜面を、上っていくと、妙行寺。 創建は、こちらも、江戸時代直前。 創建の地は、麹町、清水谷。今の、ホテルニューオータニの東側、清水谷公園だろうか。 しばらくして、この地に、移ってきている。 この…
かつて、都内最大の、貧民窟があったなんて、想像も出来ない。 とはいえ、鮫河橋坂を、下りきった場所は、なんか、今でも、本当に、谷底、という感じではあったな。 鮫川流路跡、辿りながら、北へ歩き、しばらくして、北東へ。 急な、上り坂を、上っていく。…
鮫川流路跡、北へ北へと、歩いていく。 かつては、商店街だったのだが、今、その、痕跡は、ないようだ。 ところで、このあたり、それ以前は、どうだったのだろう。 明治時代、一帯は、東京三大貧民窟の、一つだったらしい。 しかも、それら三つの中では、最…
住宅地の中、北へ。 実は、この通り、ちょっと前は、若二商店街、という商店街だったらしい。 おそらく、高度成長期ぐらいまでは、あったかも。 ここだけではなく、どこも、同じだっただろうけど。 バブルの頃の、地図を、見ると、それでも、まだ、この先、…
住宅地、北へ歩くと、すぐに、東側、小さな、祠、せきとめ稲荷神社。 みなみもと町公園の、西側、あるいは、公園内の敷地なのかな。 「せきとめ」は「咳止め」なのだろうけど、おそらく、「堰止め」が、語源、かもしれない。 とすると、鮫川を、堰き止めてで…
鮫河橋坂、南へ南へと、下っていく。 下りきったところ、緑の、多い場所。 みなみもと町公園がある。 高度成長期の頃、整備されたらしい。 それ以前は、すぐ、南側に、広がる、迎賓館、あるいは、赤坂離宮の、関わりなのか、学習院の用地だったりしたようだ…
外堀通り、南へ。 迎賓館の手前で、通りは、二つに、分かれる。 西側、南西へ、伸びる通り、西側には、四谷見附公園。 完成したのは、大正時代。 迎賓館が、赤坂離宮だった頃、その一部として、整備されたらしい。 赤坂離宮についてだが、江戸時代、紀州藩中…
東京駅で、中央線。 中央線は、いったん、北側へ、大きく、弧を描きながら、進んでいく。 路線が、江戸城の、外濠に、沿っているからだ。 江戸城の、外側、ぐるっと、大きく、弧を描く。 そうして、しばらくすると、四ッ谷駅。 ホームから、階段を上がると、…
南北に伸びる、中央通りを、北へ。 交差点、北東側には、逓信総合博物館。 完成したのは、高度成長期の頃。 日本の、未来への発展を、象徴するような、博物館だ。 だが、その未来を、手にした現在、実は、閉館されるらしい。 跡地には、このあたりの、例に洩…
高田馬場駅から、東西線。 大手町駅で下車。 地上に出ると、東西に伸びる、永代通り。 永代通りの、南側には、丸の内永楽ビルディング。 最近、完成した、高層オフィスビルだ。(工事中はこちら) この高層ビル以外にも、続々と、建設中。 あるいは、すでに…
西船橋駅周辺が、交通の要衝であるにもかかわらず、再開発されないのは、一帯が、古い、歴史を、持つからなのかもしれない。 どうかわからないが、いずれにしろ、あまり、昔とは、変わらないので、なんとなく、ほっとする。 西船橋駅から、東西線。日本橋駅…
江戸名所図会を見ると、このあたり、宝成寺、そして、葛飾明神社が、描かれている。 現在の、宝成寺は、京成電鉄の、北側にあり、葛飾明神社は、南側。 それらを、結んでいる、道路が、あったようだ。 もっとも、江戸名所図会からは、どうも、位置関係が、判…