2014-10-01から1ヶ月間の記事一覧
東へ歩いていき、途中、北へ。 そのまま、北へ北へと、向かう。 しばらくすると、八幡社神社。 正月、ということで、こちらも、賑わっている。 創建は、わからないが、江戸時代の前、戦国時代、あるいは、室町時代、と思われる。 ちなみに、明治時代初め頃の…
希望ヶ丘団地。団地の名前、「希望」、まさに、当時の、時代を、象徴する言葉だな。 広場、公園、緑地帯、緑道、スーパー。 烏山川の、流路跡に沿うようにして、団地が、広がっている。 ちなみに、明治時代の、地図を、見てみると、烏山川流域は、田圃だった…
山手住宅地と違うのは、集合住宅、マンションが、多くなることかな。 そちらの方が、歩いていて、ほっとするのだが。 ただ、緑道、だんだん、みすぼらしくなってくる。 烏山川緑道、しばらく、歩いていくと、希望ヶ丘団地の中へ。 高度成長期の終わり頃、建…
小田急線を越えて北側、いままでの、山手住宅地が、影を、潜める。 代わりに、現れるのは、郊外住宅地。 めっきりと、庶民的になる。 さらに、緑道も、さほど、整備されておらず、普通の、道路に、なってくる。 緑道は、北西へ。 途中、鎌倉街道を、横切るの…
烏山川流路跡の東側、小田急線の北側には、石仏公園。 謂れがありそうな、名前だが、どんな、謂れなのか、わからない。 完成したのが、いつかも、わからない。 それほど、歴史があるとも思えないけど。 ちなみに、バブルの頃の、地図を、見ると、石仏公園、…
当時のこと、あまり、覚えていないのだが。 覚えているとすれば、賑やかな商店街、その中に、山手住宅地らしい、おしゃれな感じの店、そんなところだろうか。 あの頃、何十年も、経った、未来、今のことだが、こんな世の中に、なっているとは、想像もしなか…
西へ西へと、歩いていくと、北に伸びる、細い、通り。 農大通り商店街、となっている。 商店街は、小田急線経堂駅まで、伸びているので、経堂駅の、商店街、なのだろう。 経堂駅に、ショッピングセンターが、できたとして、まだ、商店街は、残っているようだ…
道路が、平行して、通るようになる。 烏山川緑道、まるで、その、道路の、歩道みたいな、感じだ。 まわりは、ますます、高級な、住宅地。 こんなところに、住んでいたら、人生観、変わってしまうだろうな。 今日は、正月なので、静か。 ジョギングや、散歩を…
閑静な住宅街の中、烏山川緑道は、続く。 こういう住宅地、川が、なくなっても、こうして、細長い、公園になるものだ。 しばらく、歩いていくと、菫橋。 橋の痕跡だけが、僅かに、残っている。 川跡を、横切る道は、たいてい、かつて、橋が、架かっていて、…
烏山川緑道、西へ、歩いていくと、南北に、伸びる、道路の、工事現場。 南側は、トンネルになっている。 さらに、その、南側、世田谷通りまで、達しているようだ。 以前、世田谷ボロ市通りを、訪れたとき、道路工事現場が、あったことを、記憶している。 そ…
境内から、道路まで、参拝客の、列は、続く。 のんびりしていて、いい感じだ。 天気もいいし。 住宅地、南へ、歩くと、烏山川流路跡。 流路跡は、烏山川緑道、となっている。 烏山川緑道を、西へ。 そういえば、ここから、北東側には、豪徳寺がある。 豪徳寺…
宮の坂駅、北側、東西に伸びる道路。 西へ、歩く。 程なくして、北側に、世田谷八幡宮神社。 今日は、正月。ということで、参拝客が、列を、成している。 宮坂、という、町名の、由来にもなっているので、ここらへんでは、有名なのだろう。 創建は、わからな…
いったい、この、集中的な、再開発、いつまで、続くのだろうか。 いつかは、限界があるのだろうけど。 でも、自分は、その先を、見ることはないに違いない、ということは、確かだな。 大手町駅、千代田線に、乗り込む。 千代田線は、代々木上原駅から、小田…
高田馬場駅で東西線。 竹橋駅で下車。 内堀通りを、南へと、歩く。 今日は、正月。さすがに、オフィス街は、誰も、いないな。 店も、閉まっている。 バブルの頃は、開いていたのだが。 もう、そういうことは、ないだろう。 静かで、いいけど。 しばらく、歩…
これ以上、歩き回っても、迷うだけなので、来た道を、引き返すことにする。 環状7号線を、南へ。 長原商店街を、今度は、西へと、歩いていく。 しばらく、歩いていくと、商店街の、入口まで、来てしまった。 駅がないわけないので、今度は、慎重に、東へ。 …
長原商店街を、東へ東へと、歩いていく。 今日は、年末、大晦日。 なのに、それほど、賑やかではない。 特に、ここだけが、そうではなく、都心から、外れれば、どこも、同じだ。 寂れた感じで、静かなのも、ときには、いいけど。 などと考えながら、歩いてい…
坂を、上りきると、住宅地。 おそらく、台地の方が、古い住宅地なのだろう。 宅地がなくなったので、坂まで、住宅地に、なっていったに、違いない。 さらに、北へ向かうと、長原商店街。 北側、長原駅の、商店街だ。 昭和の初め頃、開業しているので、まわり…
北へ向かうと、急な、上り坂。 小池が、大きな、窪地の、底だということが、わかる。 そんな、小池なのだが、それなりに、昔から、知られていたらしい。 以前は、内池、とも呼ばれていたようだ。 謂れは、わからないが。 北側、坂を上ったところには、東西に…
公園の、ほとんどを、池が、占めている。 池の、名前は、小池、なのだが、ずいぶん、広い池だ。 昭和の初め頃、釣堀になる前は、もっと、広かったらしい。 明治時代の地図を、見ると、たしかに、今よりも、倍は、ある。 西側に、大きく、広がっていたのだ。 …
貝塚坂を、上っていくと、また、下り坂。 緩やかな、下り坂だが。 途中、西に曲がり、住宅地の中、西へ、向かう。 住宅地の中で、再び、上り坂。 上ったところで、またしても、下り坂。 下った先は、窪地になっている。 窪地の底には、大きな池があり、池と…
環状7号線を挟んで、南側、上り坂、貝塚坂、となる。 貝塚、という名前から、どこか近くに、貝塚、があったのだろう。 馬込貝塚、というのが、それらしい。 南東側には、貝塚公園、もあり、おそらく、そのあたり、かな。 特定の場所、というよりも、一帯で、…
夫婦坂を下りきると、そこには、東西に伸びる、環状7号線。 実際、谷筋は、もう少し、手前になるが。 こうして、谷がある、ということは、かつて、川があった、ということになる。 ただ、どういう、川が、流れていたのか、ということは、今となっては、わか…
南へ、歩いていくと、下り坂。 夫婦坂、という名前。 下りきったところから、今度は、上り坂が、はじまるので、こういう、坂を、夫婦坂、というらしい。 だとすると、反対側の、坂道も、夫婦坂、になるはずだが、どうなのだろう。 話は、変わるが、さっき、…
途中、西へ曲がり、そのまま、西へ西へと、歩いて行く。 高台の、住宅地が、続く。 今、歩いている道、実は、古い、道だったらしい。とすると、ここらへん、昔から、開けていたのだろう。 高台なので、暮らしやすかったに違いない。 住宅地、歩いていくと、…
縁日通り、歩いてくと、徐々に、店が、多くなり、馬込本通り商店街、となる。 このまま、行くと、その先には、荏原町駅。 駅前商店街、となるようだ。 駅が、できたのが、昭和の初め頃。 商店街が、できたのも、その頃、だろうか。 ただ、その先、駅北口に、…
縁日通りを、北へ北へと、歩いていく。 かつては、縁日のような、賑やかさが、あったのかもしれない。 しばらく、歩いていくと、通りの、西側に、宗福寺。 創建は、江戸時代の、直前頃か。 とすると、このあたりが、開拓されたのも、江戸時代の初め頃、とい…
階段を上ると、南北に伸びる、縁日通り。 こちらも、立体交差。 クルマも通れるような、インターチェンジではないが。 環状7号線を、掘割に、したので、このような、立体交差になったのだろう。 掘割にしたのは、やはり、東側の、第二京浜のためかな。 昭和…
環状7号線を、西に進むと、すぐに、陸橋。 新馬込橋、と呼ばれている。 昭和の初め頃に、架橋されたようだ。 とすると、環状7号線、このあたり、開通したのは、昭和の、初め頃、ということになる。 実際、さっき、通ってきた、環状7号線と、第二京浜との、立…
東へ東へ、歩いていくと、しばらくして、南北に伸びる、昭和通りとの、交差点。 都営浅草線、宝町駅がある。 まだ、ここらへんまで、再開発は、及んでいないようだが。 いずれは、再開発、押し寄せてくるのかもしれない。 ちなみに、昭和通り、開通したのは…
中央通りの西側、広範囲、工事中。 京橋二丁目西地区再開発、ということだ。 ちょっと前、来たときは、以前の、街並みだったのに。 もう、あらかた、街並みに、なくなり、広大な、工事現場になっている。 バブルの頃までは、昭和の、忘れられた地域。 都心へ…