2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧
桜田通り、南へ、歩くと、すぐに、通りの、東側、忍願寺。 創建は、江戸時代の初め頃。 創建の地は、やはり、八丁堀。 たしか、八丁堀寺町の寺院、すべてが、この地に、移転しているわけではないので、そう考えると、八丁堀寺町の、寺院の多さは、かなりのも…
今は、桜通り、として、車幅も、広く、交通量も、多いが、以前は、裏道だったのだろう。 しばらく、進むと、東側には、上り坂、幽霊坂。 蛇坂、というのも、なにか、あたりの、寂しい様子を、表しているようだが、幽霊坂は、もう、かなり、はっきりしている…
林泉寺についてだが、もともとは、古く、京都あたりにあったらしい。 徳川家が、江戸に、移った折、林泉寺も、移ってきた、ということだ。 当初は、今の、神田、あたり。 すぐに、八丁堀に移転。 そして、しばらくして、まわりの寺院と、同じように、この地…
慈眼禅寺についてだが、創建は、江戸時代の初め頃。 創建の地は、やはり、八丁堀。 そして、まわりの寺院と、同じく、しばらくして、この地に、移ってきている。 江戸時代の初め頃、八丁堀に、あった、寺町、かなり、寺院が、多かったようだ。 どうして、江…
願海寺についてだが、創建は、江戸時代。 創建の地は、わかっていない。 この地に、最初から、あったとは、思えないので、おそらく、周囲の、寺院と、同じだと、思われる。 とすると、江戸時代の初め頃、八丁堀の、寺町に、建てられ、しばらくして、この地に…
蛇坂についてだが、往来が、始まった、江戸時代、できたのだろう。 名前から、二つのことが、言えるように思う。 蛇のように、細く、うねうねとしている坂、ということ。 そして、蛇が、いそうなほどに、薄暗い、坂道。 おそらく、東側、南北の、通りは、か…
大聖院、創建は、江戸時代の初め頃。 創建の地は、八丁堀。 ほどなくして、周囲の、寺院と、同じように、この地に、移転してきている。 こうして見ると、江戸時代初期、八丁堀に、一時的に、寺町が、形成されたようだが、では、その跡地は、どうなったのだろ…
宝生院についてだが、創建は、江戸時代の初め頃。 創建の地は、八丁堀、となっている。 そして、しばらくして、やはり、他の寺院と、同じように、この地に、移転してきている。 とすると、おそらく、江戸時代の初め頃、八丁堀に、一時的に、寺町が、作られた…
長延寺についてだが、こちらは、創建、わかっていない。 創建の地は、今の、有楽町駅付近、数寄屋橋あたり、だったらしい。 とすると、西蔵院に、近い、寺院だったのかも。 同じように、江戸時代の前、室町時代、創建されたように、思える。 その後、江戸時…
西蔵院、創建は、江戸時代の前、室町時代。 意外に、古い。 創建の地は、今の、有楽町駅付近、数寄屋橋あたり。 当時、そのあたりは、日比谷入江の東側、南へ伸びる、江戸前島、という、半島だったようだ。 その後、江戸時代になり、しばらくして、八丁堀に…
大松寺についてだが、創建は、江戸時代の初め頃。 創建の地は、東京駅の南東側、八丁堀。 江戸の町の、発展に伴い、ほどなくして、この地に、移転している。 寺町は、通り沿いに、南へ、伸びているので、通りそのものも、寺町とともに、開通したのかもしれな…
バブルの頃は、郊外、地方の時代だったので、大学も、都心から、郊外へと、移転したものだ。 だが、バブルは、崩壊し、郊外、地方は、寂れていく。 大学も、それに、呼応するように、今度は、都心キャンパス内に、高層ビルを、建て始める。 もっとも、慶應義…
桜田通りの、北側一帯、慶應義塾大学三田キャンパス、となっている。 この地に、開校したのは、明治時代初め頃。 他の、多くの、有名な、学校も、同じ頃なのだが。 こうした、学校自体、江戸時代から、明治時代への、画期の一つ、という風に、見れば、当然の…
しばらく、南へ歩き、途中、西へ。 鎌倉街道の方は、さらに、南へ、伸び、南西方向、聖坂を、上っていたようだが。 西へ伸びる通り、北側には、慶應義塾大学の、敷地。 江戸時代、その敷地は、島原藩の敷地だったらしい。 とすると、この通り、桜田通りなの…
しばらくすると、通りの、西側には、春日神社。 創建は、わからないが、かなり、古いことは、確からしい。 この地に、移ってきたのは、江戸時代。 それ以前は、もっと、西側に、あったようだが、どこにあったのか、わからない。 ところで、三田、というと、…
桜田通り、南へ南へと、歩いていく。 途中、西に伸びる通りに入り、西へ。 しばらくすると、南側に、レジデンス三田の工事現場。 あたりの整備が進み、こうして、高層住宅も、建つわけだ。 バブル期以前、新橋、虎ノ門あたりが、都心中心部だったと思う。 そ…
赤羽橋、江戸時代から、架かっているのだろうが、実は、桜田通り、鎌倉街道でも、あったわけで、とすると、それ以前から、橋が、架かっていたのかもしれない。 ちなみに、赤羽、という橋の名前、地名からなのだろうけど、よくわからない。 そういえば、北側…
西武新宿線、中井駅で下車。 都営大江戸線に乗り換える。 赤羽橋駅で下車。 都心中心部に、直通しているので、便利といえば、便利だ。 下車して、さっそく、地上へ。 南北に伸びる、桜田通りと、東西に伸びる、外苑東通りとの、交差点。 交差点北東側には、…
西へ西へと、歩いていくと、やがて、埼京線十条駅。 駅名に、何も、冠していないので、こちらの方が、古い駅。 実際、東十条駅より、古いのだが。 それ以前は、岩槻街道沿いの、東十条駅周辺の方が、開けていたのだろうけど。 陸軍砲兵工廠を移転してきて、…
東十条駅西側の通り、岩槻街道なのだが、別名は、日光御成街道。 日光御成街道の、一部分、なのかもしれない。 江戸時代より前は、やはり、鎌倉街道だったようだ。 さらに、それ以前、太古の道が、通っていたらしい。 ただ、あたりが、開かれたのは、江戸時…
真光寺の通りを挟んで、西側には、富士神社。 創建は、江戸時代。 意外に、新しい神社だ。 おそらく、真光寺の、後ぐらいに、完成したと、思える。 同じように、このあたりが、開かれたことによるのだろう。 ただ、もう少し、興味深いことがある。 富士神社…
東十条駅西側、南北に伸びる通りを、北へと、歩いていく。 しばらくすると、通りの、東側には、真光寺。 創建は、おそらく、江戸時代。 あたりが、開かれた頃だ。 名主の滝の、元になった、庭園を、造るぐらいだから、それなりに、栄えたのだろう。 田畑は、…
通りを、西へ向かうと、十条中央商店街。 昔、来たときは、賑やかだったが、今は、閑散としていて、静か。 どこの商店街も同じだが。 さらに、西に向かうと、十条駅の、北側。 こちらは、今も、賑やか。 今回は、そこまでは、行かなかったけど。 途中、演芸…
北へ歩いてくと、東十条駅。 南側を、東西に伸びる、通りがある。 通りの、南側には、地蔵坂地蔵。 地蔵坂ではないのに、地蔵坂、というのは、地蔵坂の、中腹にあった、地蔵が、今、この場所にある、地蔵だからだろう。 といっても、中腹の、どこにあったの…
北へ、しばらく、歩いていくと、西側、地蔵坂。 地蔵坂に、限らず、西側、崖の斜面なので、坂道は、多い。 地蔵坂についてだが、以前は、坂中腹に、地蔵が、あったようだ。 ということで、地蔵坂、というのだろう。 なんでも、江戸時代、すでにあったらしい…
南橋トンネルを過ぎ、京浜東北線に沿って、北へ。 線路東側に、抜ける、地下道の、入口が、あったりする。 線路が、敷かれたのは、早く、すでに、明治時代の初め頃。 東北線が、開通。 早期に、開通させるため、家屋のない、崖地を、用地としたので、台地の…
公園を出て、住宅地の中、北へ向かう。 しばらくすると、東側には、陸橋と、南橋トンネル。 陸橋の方は、南大橋。 そういえば、南北に、台地の、崖が、伸びていて、それに、沿うように、JRの、線路も、伸びていて、とすると、東側とは、分離された、状態にな…
池の北側は、崖斜面になっていて、いろいろな、滝がある。 滝といっても、天然の滝では、ないそうだ。 江戸時代、日本庭園の、名残り、らしい。 いろいろな、水流の流れ方をする滝を作り、それぞれに、名前があるという、趣向。 台地の崖で、湧水が、豊富だ…
しばらくすると、鬱蒼とした森、名主の滝公園。 公園、というよりも、日本庭園テーマパーク、といったところか。 その中でも、森が、深い、というのが、特徴のようだ。 さっそく、入ってみる。 公園の、もとは、江戸時代、近くに住む、名主の、庭園、という…
さらに、北へ、歩いていくと、通りの西側には、金輪寺。 創建は、おそらく、王子神社と、同じ頃だろうか。 そういえば、こうして、歩いてみると、昔は、石神井川の、北岸、から、北へ、王子神社、王子稲荷神社、金輪寺、と、並んでいたのかもしれない、と思…