2013-10-01から1ヶ月間の記事一覧
西武新宿線沼袋駅で下車。 駅西側に出る。 南北に伸びる、通りを、南へ。 沼袋、という地名から、おそらく、近くを、流れる、妙正寺川が澱み、沼沢地になっていたのだろう。 南へ向かうと、台地。 こちらの地名は、新井。 東側にある、有名な、新井薬師は、…
東武伊勢崎線の列車は、緩やかに、カーブを、描きながら、北へと、向きを、変えていく。 しばらくして、次の駅、北千住駅。 改札を出て、西口、ペデストリアンデッキに、出てみる。 そこから見えるのは、西へ、まっすぐ伸びる、メインストリート。 そういえ…
柳原千草公園、工場の跡地を、利用した、ということだ。 おそらく、高度成長気前までは、あちこちに、工場が、あったのだろう。 その後、高度成長を、達成し、そうした、工場は、いらなくなったのかな。 高度成長の後、安定期、バブル期に、そのような、工場…
荒川土手の上から、南西側、住宅地を、見渡すと、はたして、家並みの、向こう、こんもりとした、木立が、見えた。 さっそく、土手を、下りて、そちらの方へ、行ってみる。 住宅地の中、歩いていくと、柳原千草公園。 千草の、名前の如く、緑が生い茂っている…
並木の緑が、木陰を作っていて、気持ちのよい、通りだ。 もっとも、実は、道に、迷っているのだけど。 方角は、わかっているのだが、目指す場所が、この、広い通りの、南側だったのか、北側だったのか、忘れてしまったのだ。 通りを、歩けば、なにか、手掛か…
住宅地の中、南へ、歩くと、すぐに、東西に伸びる、通り。 下町、という感じがしないような、整備された、一直線の、道路だ。 しばらく、通りを、西へと、歩いてみる。 両側の、並木から、それほど、古くある、通りとは、思えない。 かといって、道路沿いの…
すぐに、道路の、東側に、柳原稲荷神社。 創建は、おそらく、江戸時代、だろうか。 あたりが、開拓された頃。 明治時代初め頃の、地図を見ると、この場所に、神社が、記されているので、たぶん、そうだろう。 ところで、さきほど、訪れた、理性院なのだが、…
南東へ歩いていくと、道路の東側に、大和湯。 駅から、離れた場所にも、こうして、銭湯が、残っている。 あたりは、どうやら、かつては、賑やかな、商店街。 そういうわけで、銭湯も残っているのかな。 ここまで、北千住の、街が、広がっていたとすると、昭…
住宅地の中、東へ東へと、歩いていく。 しばらくすると、突き当たり、理性院、という寺院。 創建は、江戸時代の、初め頃。 とすると、さっき訪れた、三吉稲荷神社も、同じ頃、ということか。 おそらく、このあたりが、開拓され、水田が、整備された頃だろう…
南へ、歩いて行き、途中、西へ、曲がる。 そのまま、西へ。 しばらくすると、通りの、南側に、三吉稲荷神社。 創建や、謂れは、わからない。 江戸時代、あるいは、もう少し、新しくて、明治時代、だろうか。 明治時代初め頃の、地図を、見てみると、はたして…
なにか、急速に、消え去りつつある、気配漂う、旭町商店街、突き当りを、北へ曲がり、そのまま、北へ。 いちおう、ここまでが、商店街の、範囲なのだろう。 西口の方は、かつての、千住宿、歴史がある街並み。 それを、活かせば、それなりに、賑わいは、残る…
駅前から、東へ、伸びているのは、旭町商店街。 以前、訪れたときは、ずいぶんと、賑やかだったのだが。 今は、ひっそりとしている。 賑やかさは、再開発された、西口に、移ってしまったのだろうか。 移った、ということもあるのだろうが、それ以前に、あた…
もとは、日本たばこ産業の社宅があったらしいのだが。 跡地の開発ではあっても、街並みの、変化は、著しいと、思える。 なにか、どこぞの、郊外の、ニュータウンの様だ。 これでは、どこの街か、見分けがつかない。 北千住らしい、下町の、街並みは、もう、…
高田馬場駅から東西線。大手町駅で千代田線に乗り換える。 北千住駅で下車。 北千住駅には、多くの、路線が、乗り入れている。どこが、どうなっているのか、今もって、はっきりとは、わからない。 今回も、思ったより、ずいぶんと、南側に、出てしまった。 …
目黒川沿い、西へ西へと、歩いていく。 かつて、川筋が、北へ、曲がっていたところ、新品川橋を越え、そして、荏原神社を越えると、京浜急行新馬場駅。 新馬場駅で、京浜急行に乗ることにする。 ところで、新馬場駅、についてだが、かつては、北馬場駅と、南…
アイル橋を渡り、目黒川北岸へ。 とりたてて、何かあるわけではないけど。 西側を見ると、昭和橋。 名前の通り、昭和の初め頃、架けられたらしい。 それ以前は、橋が、架かっていなかった、というよりも、陸地だったようだ。 目黒川は、今の、昭和橋の、西側…
緩やかな、起伏のある、草原を、歩いていくと、目黒川の河口。 アイル橋、という新しい橋で、北岸へ。 東品川海上公園、目黒川の、対岸にも、敷地が、広がっているのだ。 さっそく、渡ってみる。 橋の半ばから、見ると、目黒川河口が、公園内の、一つの、景…
目黒川沿い、さらに、東へと、歩いていく。 しばらくして、南北に伸びる、海岸通り。 目黒川に、架かる橋は、昭和橋。 昭和の初め頃に、架けられたようだ。 おそらく、目黒川下流の、改修が、おこなわれた時期。 昭和橋を渡り、目黒川の南岸へ。 再び、東へ…
荏原神社は、古社には、違いないが、延喜式には、載っていない。 品川湊と、関わっているとすれば、その品川湊は、鎌倉時代の湊、平安時代から見れば、新しい地域。 そのように、新しい地域の、神社なので、延喜式には、載っていないのかもしれない。 などと…
目黒川の、北岸には、荏原神社。 ただ、昭和の初め頃、目黒川の、改修を行い、もともと、荏原神社の、北側を、流れていた、目黒川の流れを、南側に、移している。 つまり、本来、荏原神社は、目黒川の、南岸に、あったわけだ。 そんな荏原神社だが、創建は、…
目黒川の南岸には、海徳寺。 創建は、江戸時代になる前。 時代の、移り変わり、ということか。 当時は、江戸時代にはあった、東海道、まだ、開通は、していなかっただろう。 とすると、目黒川に架かる、橋も、なかったかもしれない。 あるとすれば、ここから…
第一京浜を渡ると、景観は、一変する。 木々が、多く、生い茂る、昔の、風景。 昭和の時代に、取り残されたような街並みだ。 目黒川沿いを、東へと、歩いていく。 目黒川には、鎮守橋、そして、その向こうには、品川橋。 品川橋の方は、江戸時代、東海道が、…
これほどまでに、江戸時代、盛んだった、東海禅寺なのだが、今は、目黒川沿い、狭い、寺域。 明治時代になって、周囲を、かなり、削られてしまったらしい。 時代の、移り変わり、ということか。 さっき、訪れた、恐竜のいる、子供の森公園も、かつては、東海…
東へ、向かうと、すぐに、東海禅寺。 寺域そのものは、通りの奥、南側、目黒川沿いにある。 創建は、江戸時代の前半。 有名な沢庵和尚の寺院。 江戸名所図会を、見ると、かなり、広い。 一見しただけでは、どのくらい、広いのか、わからないくらいだ。 江戸…
山手通りを、南へ。 すぐに、山手線の、高架を、潜る。 また、再び、目黒川に、沿うようにして、山手通りは、向きを、東へ。 今度は、東海道線の、高架を、潜る。 しばらく、歩いていくと、通りの南側、区立子供の森公園。 名前の通り、木々が多い。 そして…
高層ビルは、建つとすれば、二棟ぐらいだろうか。 完成したら、再度、訪れてみよう。 目黒川、西岸を、南へと、歩いていく。 高層ビルが、建ち並んでいるが、以外にも、緑が多い。 さらに、南へと、進むと、東西に伸びる、山手通り。 目黒川には、居木橋が、…
高田馬場駅で山手線。 大崎駅で下車。 久しぶりのような気がする。 あれだけ、高層ビルが、建ってきたのに、ここにきて、落ち着いてきたから、訪れる機会が、減っているのだ。 いつものように、駅東側、ペデストリアンデッキ。 大崎ニューシティへ。 昔は、…
幅広で、交通量の多い、甲州街道。上空には、首都高新宿線の高架。 京王線の代田橋駅が、近くにあるとは、感じられない。 そういえば、和泉明店街は、この近く。 駅前商店街だったわけだ。 和泉川跡を、辿ったとき、通った、六号通り、十号通り、というのも…
給水場が、なんで、こんな場所にあって、どの地域に、ここから、配水しているのか、よく、わからないが。 わかっているのは、昭和の初め頃、玉川上水新水路は、なくなり、代わりに、水道管が、甲州街道の、下を、通るようになった、ということ。 ただ、今も…
さらに歩いていくと、住宅地の中、忽然と、和泉川跡は、消えてしまう。 富士見丘高校のように、迂回したら、まだ、その先にある、という感じではない。 なんとか、見つけようとしていたら、再び、玉川上水新水路跡の、道路。 仕方がないので、玉川上水新水路…