日暮里舎人ライナー熊野前駅(東尾久五丁目 東西に伸びる通り)

東尾久五丁目 東西に伸びる通り

とりあえず、明治時代は、長閑な、田園だったのだろう。
大正時代、昭和、と時代を経て、都心、郊外が、誕生地、あたりは、郊外として、市街地化されていく。
その折、ラジウム鉱泉が、発見されたらしい。
そういうわけで、近郊リゾート地、となったようだ。
東西の幅広の通りも、その頃、開通したのだろうか。
さらに、西へ西へと、歩いていく。
(2013年8月記)