銀座線浅草駅(浅草七丁目 山谷堀跡)

浅草七丁目 山谷堀跡

待乳山の北東側には、北西に伸びる、山谷堀跡。
かつては、隅田川に、合流していたようだ。
完成したのは、おそらく、江戸時代の初め頃。
江戸時代前、待乳山の、西側には、広大な、千束池が、あったのだが、千束池を、干拓するため、まず、北西に、日本堤を、築き、千束池を、南北に、分断したらしい。
分断された、南側部分には、水は、流れ込まず、干上がるわけだ。
日本堤で、堰き止められた、水流は、どうしたのか、というと、どうやら、山谷掘を、開削し、隅田川に、流したらしいのだ。
今回は、山谷堀跡を、辿ってみる。
(2013年7月記)