南武線武蔵中原駅(宮内二丁目 川崎の住宅地)

宮内二丁目 川崎の住宅地

再び、北へ歩く。
このまま行くと、多摩川だが、実は、東へ、向かうはずだったのだ。
だが、その東へ向かうはずの道、北側に、大きく湾曲している。
明治時代初め頃の地図を見ると、北側に湾曲している道、どうも、土手だったようだ。
とすると、その昔、多摩川は、ここから、西側では、南へ、蛇行し、いったん、北へ蛇行したあと、すぐに、また、南へ、蛇行していたのかも。
明治時代初め頃の地図で、すでに、多摩川は、まっすぐ、流れているので、江戸時代では、すでに、まっすぐ、だったのだろう。
ひょっとすると、多聞寺が遭った、洪水で、川筋が、まっすぐになったのかも。
さらに、北へと、歩いていく。
(2013年9月記)