中央区佃(スカイライトタワー(I棟))

スカイライトタワー(I棟)

大川端リバーシティの中央を走る通りの西側、最も北側にスカイライトタワー(I棟)が聳える。
江戸時代。佃島の北を石川島といったが、人足寄場になっていた。
江戸時代末、その石川島に開国に備え、石川島造船所を創設。
明治時代にいつの間にか民間企業となり、明治時代、戦前、戦後、現在と造船だけでなく日本を代表する重工業の企業として存続する。
安定期に入って、石川島の工場は移転する。
その跡地にバブルのころ、大川端リバーシティの再開発が開始される。
まさに工業立国の軌跡を辿っている。
工業国から成熟債権国家へ。
工場は後発の新興国にまかせるから国内にはいらないのだ。
あとは新興国に投資をすれば利潤を手に入れられる。
そして工場の跡地にはオフィスビルと高層住宅を建て、不動産価値を高める。
江戸時代初、大阪から漁師が入植。
江戸時代半ば、人足寄場ができ、そして明治時代からは重工業。
バブル以降は巨大な高層住宅が建つ。
都心というものがなかったなら、この場所は隅田川の中州というだけだっただろう。
都心の要求に応え様々に変貌してきた、究極の下町(町ではないのだが)の姿がそこにはある。
高度成長期には異臭を放つ隅田川、かみそり堤防、地盤沈下したゼロメートル地帯
今や川べりは親水地帯となり、隅田川もきれいになった。
もっとも、この演出され作り上げられたアーバンリゾートを支える価値、それは都心があるからだろう。
その価値こそは、成熟債権国家においては、そもそも債権によっているのだろうか。
でもなんだか、大昔の隅田川の中洲みたいになっているような気もする。そのころに戻ることはできないけど。
結局、隅田川の中州の価値は、本来、それ以上のものでもそれ以下のものでもなかったのかな。
(2006年10月記)