川口駅西口(リプレ川口一番街1号棟)

リプレ川口一番街1号棟

大通りを南へ少し歩くと、西へまっすぐ伸びるメインストリートにぶつかる。
そのメインストリートを東へ、駅の方へ向かうと、すぐにメインストリートの北側にリプレ川口一番街1号棟がある。
駅西口に広がる公園の西側に南北に連なる団地棟の一つなのだが。
竣工したのはバブルの頃だが、川口で最初に建った高層住宅かもしれない。
おそらくそのときは、他の団地棟や公園、ペデストリアンデッキも一緒に完成したことだろう。
ではこの再開発の前はどうなっていたのだろうか。
川口駅西口のこの場所には、大正時代、燃料研究所という広大な敷地を持つ研究施設が建てららえている。
その後、この施設は、高度成長期の終わりごろに、公害資源研究所となる。
そういえば、高度成長期のころは、公害、という問題が影の部分として浮かび上がってきたのだ。光化学スモッグ注意報がしょっちゅう発令されていて外に出れなかったなんて、今では想像もできない状況だったなあ。
高度成長期が終わり、安定期になると、工場がどんどんなくなっていくのだが、それにあわせるように、公害資源研究所も筑波研究学園都市に移転する。
筑波研究学園都市というと科学万博なんていうのもやっていた。まさに地方の時代だったのだ。
そしてバブルがやってくる。
川口駅西口の公害資源研究所跡地も再開発され、高層住宅やきれいな整備された公園、駅と直結する便利なペデストリアンデッキなどができた。
燃料や果ては公害を研究していた場所にやっと落ち着いた生活空間が取って代わったのだ。
でもそれは到達点だったか、ただの折り返し地点だったのか。
あるいは一瞬、掴んだと思ったのに、指と指の間からすり抜けてしまったものなのか。
いまさら考えても仕方ないのだが。
(2007年3月記)