横浜駅西口(天理ビル)

天理ビル

横浜ベイシェルトンホテルの北西側には天理ビルがある。
高度成長期の終わり頃に竣工している。横浜ではもっとも古い高層ビルであるらしい。
自分は、川崎市の学校に通学していたことがある。
川崎は、横浜と近いので、課外授業で横浜に行ったり、また、横浜から通ってくる学生も少なからずいた。
だから、横浜は、とても感慨深いものがある。
当時、バブル期前の横浜というと、まず記憶に残っているのは異国情緒、というところだろうか。
横浜港が、近代日本では最初の国際港である、ということで、外国を感じさせてくれる感じがしたということもある。
しかし、それよりも、強く感じたのは、東京から見て、異国だった、ということだ。
港がこんなに身近、ということも異質だし、横浜中華街や外国人墓地など、外国の文化が存在感を持っていることも異質だった。
その異質さを維持させていたのが、歴史遺産や観光資源ではなく、横浜港の力なのだろう。
ただ、それも高度成長期まで、ということになる。
開港した頃のように、生糸を輸出したり、工業立国の頃のように、京浜工業地帯の輸出入の窓口になったり、ということがなくなるからだ。
この天理ビルは、横浜がその地位を保っていた頃の最後の産物なのかもしれない。
これ以降、20年間は、横浜には高層ビルが建っていない。しかも、次に高層ビルが建ったのは、みなとみらいである。
異国情緒溢れる、訪れてみたい街、横浜。
そのような雰囲気は、この空白の20年間に培われたのかもしれない。
成熟し、黄昏れていく街。そのような街に人々は惹かれ、訪れるものなのだろうか。
(2007年3月記)