東西線早稲田駅(西早稲田シティタワー)

西早稲田シティタワー

高田馬場駅東西線に乗る。
次の早稲田駅で降りる。
早稲田通りを少し西側に歩き、途中、北側へ。
神田川の谷筋へと坂道を下っていく。馬場下通りという名前の通りらしいが。
坂を下りきると早稲田大学の正門がある。
休みの日なので閑散としてはいるけど、普段、大勢の学生らで、さぞ賑やかだろう、ということが感じてとれる。こちらも若やいだ気分になってしまうな。
さらに北に歩いていく。
下町にあるような庶民的なお店が並んでいて、いい感じだ。
学生相手だから、ということもあるだろうが、やはり、神田川沿いの下町、ということだろう。
そのまま歩いて行くと、東西に伸びる幅広の交通量の多い、新目白通りがある。
この大通りの真ん中には都電荒川線のホーム。
ここからの風景は、昭和の時代から変わらないのだろうなあ、と思いつつ、新目白通りを西に歩いて行く。
すると、目の前、通りの南側に巨大な高層住宅、西早稲田パークタワー
そして、新目白通りを挟んで北側には、失われた10年の頃に竣工した、西早稲田シティタワーがある。
昭和の時代から変わらない、なんてことはないようだ。
しかも、これらの高層住宅が建っているだけではなく、この一帯は、再開発されてきれいに整備されている。
昭和の時代から取り残された下町地帯のはずなのだが。
いや、だからこそ、再開発された、といえるのだろう。
神田川沿いの下町、といっても、南側の坂を登れば、戸山はすぐだし、神田川の北側の丘陵地は目白台の山の手が広がっているのだ。
つまり、山の手の近くの下町は、再開発されやすい、ということだろう。
まるで、この一帯は、そういった山の手の一部になったような雰囲気がする。
だとすると、さっきの早稲田大学正門近くの庶民的な場所は、早稲田大学の学生によっているのだろうか。
もし、本当にそうだとしたら、ちょっと不思議な感じがする。
(2008年3月記)