西武池袋線大泉学園駅南口(大泉学園ゆめりあタワー)

大泉学園ゆめりあタワー

またプロペ通りへ戻り、南へと歩く。
所沢駅へ。今度は、西武池袋線に乗る。
所沢駅には、西武新宿線は、南から入って、北へと抜けていく。だが、西武池袋線は、北から入って、南へと抜けていく。
つまり、所沢駅においては、西武新宿線西武池袋線の上り下りは逆方向になっているのだ。
だから、西武池袋線慣れしていない自分だと、一瞬、どっちの方から車両がやってくるのか、わからなくなって、身構えてしまったりする。あるいは、停まっている車両に乗り込んだ場合、自分の思っていた方向とは、逆の方に走り出して、慌てそうになるのだが。
でも、そんな慌てぶりも、旅(という程でもないけど)の楽しみ、ではある。
西武池袋線大泉学園駅へ。
下車して、南口に出る。
目の前には、快適そうなペデストリアンデッキが広がる。
そのペデストリアンデッキの西側に大泉学園ゆめりあタワー。
竣工は、失われた10年が終わって、都心集積化が始まる頃だ。
今では、よく見かける、駅前一体型の高層住宅、ということなのだろう。
このように、大泉学園の南口も変貌著しいわけだ。
もっとも、今のようになる前の、大泉学園南口の街並みについては、ほとんど知らないので、どう変わったか、さっぱり、わからないのだけど。
大泉学園南口に関しての、おぼろげな昔の記憶は、一つだけである。
深夜、クルマで、ひょっとしたら、タクシーかもしれない、北から南へと走っていて、大泉学園駅あたりで、西武池袋線を越えて、南口に出て、そのまま、南下し、東西に伸びる幹線道路に出た、ということぐらいだ。
これでは、たんに通過しただけ、のようだな。しかも、真っ暗、ということで、街並みの様子は、見ていないし。
つまり、大泉学園駅付近は、ここらあたり一帯の、南北交通の主要ルートになっているんだな、という土地勘、それだけしか、今、残っていないわけか。
もはや、あの時、通過した街並みは、どんなだったのか、気になったとしても、見ることはできないのだ。
でも、それは仕方のないことかもしれない。
今、快適なペデストリアンデッキを歩いているのだが、その下を見れないのと、同じことのような気もするな。
(2008年7月記)