山手線品川駅(品川クリスタルスクエア)

品川クリスタルスクエア

御楯橋を渡り、高浜運河の東岸へ。
北へ歩く。
ちょっと前まで、あたりは、倉庫と団地しか、なかったのだが、すっかり、変わってしまったな。
今は、高層住宅が並び立つ、静かな、住宅街、というところか。
そのまま、北へ北へと進み、交差点を、西へと曲がる。
新港南橋で、再び、高浜運河を渡る。
高浜運河の西岸、橋の袂には、品川クリスタルスクエア
自分の中では、最も、美しいビルの中の、一つなのだが。
竣工は、バブルが、崩壊した頃。でも、この頃は、まだ、バブルは、再来すると、信じていられる、安穏な時代だったな。
バブルなど、もう来ない、と悟ったときには、もはや、失われた10年どん底だった、ということだけど。
ところで、安穏な時代、クリスタルスクエア、というと、高度成長期に続く、安定期、「なんとなく、クリスタル」、なんていう小説が一世を風靡していたことを、思い出してしまった。
もっとも、読んだこともないし、今後、読むつもりも、ないんだけど、せっかくだから、見てみようと思い、後で、古本屋に行ったら、文庫本が、残っていたな。
さっそく、購入。ふと、その本の奥付を見たら、印刷年が、バブル真っ只中。実に、ありがちなことで、本の内容よりも、そのことの方が、興味深い。
実際、読んでみると、歴史的な史料としての価値はあっても、それ以上のものは、なにもない、と再確認できた程度。予想通り、なわけだけど。
ただ、あとがきに、さる高名な評論家氏等の、好評の一部が、誇らしげに、載っていて、なんで、こんな本が、当時、一世を風靡したのか、ちょっと、わかってきた。
曰く、「都市空間は、記号になってしまった」
ということらしいが。
本当に、そうなんだろうか。
「山の手」や「下町」、が記号なんだろうか。格差社会が、記号なんだろうか。勝ち組、負け組、が、記号なんだろうか。
そういったことは、着せ替え自由な、ファッション、なんだろうか。選択自由な、ファッション、なんだろうか。
聴いている音楽を、換えるだけで、選びうるもの、なんだろうか。
「都市空間は、記号になってしまった」、なんてこと、今の世の中から見れば、悪い冗談にしか、思えない。
でも、あの時代、高度成長期が終わって、安定期、そして、バブルの頃、実際、そういうことが、真実味を帯びていたことも、事実なんだけど。
ふと、クリスタルスクエアから、目を転じて、橋の下も見てみると、テトラポットがごろごろと敷き詰められてあって、水が、ごーごー、と湧き出しているのに気付いた。
近くの、汚水処理施設の、放水口が、こんなところにあったのだな。
美しいクリスタルスクエアの下には、泥のように濁った海水と、そこに、汚水を処理した水を、ごぼごぼを流し込む、放水口が、あるのだ。
これが、今の世の中(に限らないけど)の、現実、なんだろう。
(2009年5月記)