山手線大崎駅(大崎五丁目 山手通り拡幅予定地)

大崎五丁目 山手通り拡幅予定地

鬱蒼とした、木々の下、居木神社の境内を抜け、石段を降りると、その先は、下り坂になっている。
その坂を下りきれば、交通量の多い、山手通り。
麓にある、山手通りから、居木神社の方を振り向いてみると、丘の上、こんもりとした小さな森が見える。居木神社の境内なのだが、まるで別世界のように思えるな。
そういえば、居木神社のある場所からは、貝塚が発見されているらしい。
たぶん、太古の昔から、暮らしがあるのだろう。台地の上は、長閑で、居心地よさそうだし。
ひょっとすると、今の、居木神社のある場所には、もともと、別の神社があったのかもしれない。
なぜなら、昔からある神社の敷地には、たいてい、太古の遺跡や、古墳があるからだ。
ということは、神社が、入れ替わったのだろうか。
たしか、一般的には、目黒川の洪水で、居木神社は、高台に、移転したことになっているけど。でも、このときの洪水だけが、移転の理由、というのは、解せない。
それ以前にも、たびたび、洪水は、あったはずだからだ。
ここで、再び、居木神社の元の名と同じ、五反田駅の東側、雉子神社について。
江戸時代以前は、神社と寺社が、セットになっていることが、多かったのだが、雉子神社も、宝塔寺、という寺社とセットになっている。
この、宝塔寺、居木神社が移転するちょっと前に、同じように、目黒川から、移転しているのだ。
とすると、雉子神社は、もとは、宝塔寺と同じく、目黒川沿いに、あったのかもしれないな。そして、今の雉子神社の場所には、例えば、雉子神社の、最初の名前、荏原神社、という神社が、もともと、存在していたのかも。
ならば、居木神社の場所に、神社が、あったとすれば、やはり、同じく、荏原神社、なのかな。
こんな風に、だんだん、想像は、膨らんでいくけど、でも、結局は、もう、今となっては、わからないのだ。すべては、過ぎ去ったこと。
今、歩いてる、拡幅されつつある、山手通りも、同じことなのかもしれない。
拡幅が完成して、それが、当たり前に成ったら、それ以前のことは、もはや、過ぎ去ったこととして、忘れ去られるのだ。
(2009年9月記)