山手線田町駅(三田二丁目 綱坂)

三田二丁目 綱坂

さすが、田町駅周辺は、不況にも、めげずに、高層ビルが、建っていくな。
それでも、一頃よりは、静かになったけど。
札の辻交差点から、北へ北へと歩く。
実は、江戸時代、東海道が、整備されるまでは、この道路が、幹線だったらしい。
たしかに、道の、両脇には、古社古刹が、並んでいる。
その中でも、極めつけは、芝公園の、芝丸山古墳であろうか。
途中、交差点を、西へ曲がり、そのまま、西へと、進む。
北側には、慶應義塾大学の敷地。
ここらへんから、もう、駅前、という感じではなくなる。
慶應義塾大学の西側の、細い、道を、北へ。
この、細い道。坂道になっていて、綱坂、というそうだ。
名前の、謂れは、近くに、平安時代の、有名な武将、渡辺綱の、生誕の地、があるから、ということらしい。
ただ、もう一つ、埼玉県北部、鴻巣市にも、渡辺綱生誕の地説がある。
どっちが、正しいのだろう。
関東地方の開拓は、北から、順次、進んでいったわけで、平安時代は、開拓が、始まったばかり、そう考えれば、常識的に、鴻巣市説だと、思える。
さらに言えば、渡辺綱の父親は、源宛、という武将で、同じく、埼玉県北部、熊谷を本拠とする、平良文と戦ったらしい。
熊谷から、わざわざ、東京都港区まで、合戦のために、やってきたとも、思えないし。
ちなみに、渡辺綱は、もともとは、源綱、で、地名、箕田(みだ)、から、箕田源氏、と呼ばれていたそうだ。
箕田(みだ)と三田(みた)、何か、似ているような気もする。
あとは、想像するしかない。
平安時代の終わり頃、三田郷に、本拠を持つ、勢力が、現れる。
箔を付けるため、三田、という地名から、読みの同じ、箕田源氏を、勝手に、名乗ってしまう。
最初は、三田源氏、なんて言っていたのだが、いつしか、箕田源氏、になり、ついには、渡辺綱、になってしまったのだ。
そして、時代が経つうちに、それが、伝説になってしまった。
というのは、どうだろう。
本当か、どうか、今となっては、もはや、わからないけど。
(2010年5月記)