都営大江戸線築地市場駅(築地五丁目 采女橋)

築地五丁目 采女橋

料亭の、通りを挟んで、北側には、新橋演舞場
料亭街といえば、芸妓は、付きものだ。
そういうわけで、その芸の、披露の場として、こうした、演舞場も、あったのだろう。
そう考えると、新橋演舞場も、この地が、料亭街だったことの、名残りなのかもしれない。
新橋演舞場の北側には、南東へ伸びる、みゆき通り。
みゆき通りが、築地川を越えていく橋が、采女橋だ。
名前の由来は、東側に、かつて、伊予今治藩屋敷があり、藩主、松平定基、通称、 采女、から、とられたらしい。
ちなみに、近くの広場は、采女が原、と呼ばれていた。
もっとも、江戸時代は、二の橋、という名前。
とすると、采女橋は、伊予今治藩藩主の名前から、というよりも、采女が原から、ということかも。
ちょっとわからないが、いずれにしろ、一帯は、江戸時代、武家屋敷が、並んでいたには違いない。
かつての、料亭街、それ以前は、また、違った、別の、側面を、持っていたわけだ。
(2010年11月記)