有楽町線護国寺駅(護国寺 本堂)

護国寺 本堂

江戸時代、もともと、護国寺の、東側には、護持院、という、寺院もあったのだが、今はない。
明治時代になり、護国寺と、合併したらしい。
あるいは、その後、すぐに、天皇家、豊島岡墓所に、なったのでは、と思うのだが。
江戸名所図会を見てみると、護持院境内には、権現山、という、丘が、あったらしく、その丘、今は、豊島岡墓所の中、豊島岡と、名前を変えて、残っている。
また、護国寺と、護持院の間には、よく見ると、池が、あるようなのだが、この池も、そのまま。
護国寺と、豊島岡墓所の、間にある、池が、それに、違いない。
とすると、どうやら、たしかに、護持院の敷地が、そっくり、そのまま、豊島岡墓所になった、と考えて、間違いない。
江戸時代、寺勢、盛んだったようだが、明治時代になり、逆風、ということか。
たしか、芝にある、増上寺も、そうだったったな。
などと、考えながら、北へ、進むと、護国寺本堂。
栄枯盛衰、時代は、流れていく。
(2011年9月記)