有楽町線護国寺駅(護国寺 大師堂)

護国寺 大師堂

本堂も、見たし、もう、帰ることにする。
戻る途中、不老門の手前、東側に、大師堂。
なんでも、もともとは、薬師堂だった、建物を、移築したものらしい。
いろいろと、変遷があるものだ。
変遷、といえば、護国寺にあった、西国札所三十三所観音は、どうしたのだろう。
江戸名所図会を、見ると、護国寺の、西側には、本浄寺があり、本浄寺の方は、現存するのだが、その、北側、護国寺の、北西側に、西国札所三十三所観音が、かつては、広がっていたはず。
ちなみに、西国札所三十三所とは、近畿地方の、有名な寺院、三十三箇寺で、江戸時代、盛んに、それらを、巡礼したらしい。
その、ミニチュア版が、護国寺の北西側一帯に、あったのだ。
一番目は、和歌山県那智青岸渡寺
伊勢参りを終えて、巡礼を、始めるので、一番目、かな。
最後、三十三番目は、岐阜県華厳寺
江戸に帰るので、帰路の、近く、ということか。
護国寺の、ミニチュア版では、そのまま、北西へと、配置されている。
途中、音羽富士、富士山の、ミニチュアまである、という、盛り沢山。
そんな、西国札所三十三所観音なのだが、護国寺の北西という、位置関係から、どうみても、今の、雑司ヶ谷霊園、ではないかと、思う。
ひょっとしたら、江戸時代から、明治時代になり、寺勢、傾き、西国札所三十三所観音の敷地、そっくり、召し上げられたのかもしれない。
昔のことに、思いを馳せているうち、護国寺の、外へ。
有楽町線護国寺駅に向かう。
(2011年9月記)