中央線中野駅(中央四丁目 桃園川跡の緑道)

中央四丁目 桃園川跡の緑道

最初は、けっこう、大きな、マンションが、まわりに、建っていたが、西に、行くに、したがい、だんだん、小さくなっていく。
さらに、進んで行くと、ついには、普通の、家屋しか、なくなった。
まだ、郊外、というわけでもなく、都心によくある、住宅街、といったところだが。
ところで、今歩いているのは、桃園川跡地の緑道なのだが、では、桃園、というのは、どういう、謂れなのだろう。
その昔、江戸時代、今の、中野駅周辺には、広大な、犬の飼育場が、あったらしい。
有名な、生類憐みの令に、よって、多くの、犬が、飼われていたのだ。
時代が変わり、生類哀れみ令が、廃止されると、犬の飼育場は、不用となってしまう。
そして、その後、広大な跡地には、桃の木が、植えられ、いつしか、桃園、になった。
とすると、今の、大久保駅あたりには、つつじの山。さらに、その、西側一帯には、桃の園が、広がっていたわけだ。
江戸時代の後半、一帯は、とても、風光明媚な、場所だったに違いない。
江戸の町からみると、ここらへんは、手頃な、観光名所だったのかな。
さらに、緑道を、西へと、歩いていく。
(2011年10月記)