埼京線戸田駅(上戸田一丁目 元蕨第一公園)

上戸田一丁目 元蕨第一公園

家並みが、まばらになっている、住宅地の中、東へと、歩いていくと、元蕨第一公園。
はて、ここは、戸田、であって、蕨では、ないはずだが。
元戸田、とか、あるいは、戸田本町、本戸田、なら、わかるが、なぜ、元蕨、なのだろう。
実は、ここから、少し、離れるが、南側には、蕨城、があったらしいのだ。
ということは、城の名前を、地名から、とっていたとすると、一帯は、もともと、、という、場所だったようにも、思える。
もっとも、そうだとして、元蕨の、蕨が、なぜ、今の、蕨に、移動したのか、よくわからない。
理由はわからないが、移動した時期、としては、江戸時代の前、戦国時代の頃、だったかもしれない。
まず、江戸時代になってから、中山道が、開通し、蕨宿が、今の、蕨に、開かれているとすると、江戸時代前には、すでに、元蕨から、今の、蕨への、移動は、済んでいたはずだ。
そして、さらに、一帯の、西側には、早瀬の渡し、東側には、岩淵の渡しが、あり、鎌倉街道も、そちらを通っていたとすると、今の、蕨は、鎌倉街道に、挟まれた、何もない、一帯、だったはず。
むしろ、水運のあった、荒川に近い場所の方が、蕨、に相応しい。
元蕨が、蕨だったのは、この頃だ。
そのようなことなどを考えると、だいたい、戦国時代あたりに、元蕨から、蕨に、集落が、移動したと、思える。
(2011年10月記)