半蔵門線清澄白河駅(白河一丁目 霊巌寺)

白河一丁目 霊巌寺

道路を挟んで、北側には、霊巌寺がある。
今も、有名な、寺院だが、江戸時代は、もっと、名高かったようだ。
創建は、江戸時代の初め頃。場所は、今の、茅場町の東側、霊巌島。
霊巌島は、霊巌寺が、あったから、霊巌島なのだろう。
明治時代の地図を、見ると、霊巌島の中、西側に、霊巌島町、とあるので、おそらく、そのあたりが、霊巌寺の、旧跡、だったのかな。
まだ、埋立造成中、であれば、より、岸に、近い、西側の方が、便利だったのかもしれない。
その後、しばらくして、直接的には、大火によるのだが、実質的には、江戸の街の、膨張により、隅田川の東側、深川の、南側に、移転している。
霊巌島は、もはや、不毛の埋立地ではなく、市街地になったので、街の整備、という、目的は、なくなったのだ。
そして、霊巌寺、新天地、清澄に、移転したわけだが、その後、さらに、江戸の街が、拡大して、別の地に、移転する、ということは、もう、ない。
江戸時代の、街の膨張には、限界があった、ということだろう。
江戸時代が、終わり、明治時代以降、幾度かの、街の拡大は、あるものの、寺院の移転が、そのことに、関わることが、ないのは、そういうわけかな。
今は、もう、霊巌寺、ひっそりと、静かに、佇むばかり。
(2011年10月記)