東西線茅場町駅(新川二丁目 鍛冶橋通り)

新川二丁目 鍛冶橋通り

再び、鍛冶橋通り。
通りの名前、鍛冶橋は、今の、東京駅南東側、昔あった、外堀に、架かっていた橋。
その橋から、東へ、ここまで、伸びている通りが、鍛冶橋通りだ。
鍛冶橋自体は、江戸時代から、あったのだろうけど、鍛冶橋通りは、昭和の初め頃に、開通したらしい。
それ以前は、そのような道路は、なかったわけだが、東京駅すら、なかったので、当然かな。
ところで、再び、東海道四谷怪談についてだが、実は、当初、仮名手本忠臣蔵からの、スピンアウト、という設定だったようだ。
そういえば、コンセプト、まったく、同じだということに、気付く。
ちなみに、東海道、というのは、街道ではなく、おそらく、昔の、行政区分、のことだろう。つまり、東海道、の中の、四谷、ということだ。
ただ、物語の舞台は、浅草や、雑司ヶ谷、深川の東側、になっている。
なのに、実際、当時、お参りする、神社は、四谷。
このような、はぐらかせかた、曖昧さは、むしろ、真実味を、増すことになるのかもしれない。
鍛冶橋通りを、さらに、北東へと、歩いていく。
(2012年1月記)