有楽町線護国寺駅(大塚五丁目 坂下交差点を過ぎた地点)

大塚五丁目 坂下交差点を過ぎた地点

少なくとも、坂下通りは、明治時代、開通したらしい。
そのような、道路の開通を、実現させたのは、明治時代の、再開発、「東京地下要塞」によると、市区改正、ということだ。
ただ、成果は、あまり、はかばかしくなく、やはり、本格的な、再開発は、大正時代から、昭和の、初め頃、となる。
都心と、郊外に、分けたのが、よかったのかもしれない。
「東京地下要塞」では、はかばかしくなかったのは、極秘に、地下道やら、地下鉄やらを、作っていたから、ということに、なっているのだけど。
そして、だから、坂下通りも、極秘の、地下道や、地下鉄と、結び付くだ。
もっとも、普通に考えれば、坂下通り、この先に、かつて、あった、巣鴨監獄のための、道路、という風にしか、思えない。
それに、再開発が、はかばかしくなかったのは、都心と、郊外を、分けず、様々な、施設が、集中してしまったからだろう。
坂下通りは、徐々に、カーブを描き、北西方向へと、向きを、変えていく。
(2013年1月記)