日本橋人形町(日本橋人形町一丁目再開発)

日本橋人形町一丁目再開発工事現場

高田馬場から東西線で九段下、半蔵門線に乗り換える。
水天宮駅で下車。
水天宮から通りを挟んで北側に日本橋人形町一丁目再開発の工事現場。
人形町は月島とともに、太平洋戦争の空襲を免れた地域だ。
月島は、明石町のおかげだったが、人形町は奇跡というほかないだろう。
したがってこの場所も、昭和の町テーマパークとなっている。
成立は江戸時代にまで遡る。江戸の町は職能によって区分けされていたので、産業の名称がそのまま町名になっていることが多い。
人形町も人形芝居に使用する人形制作の街だったわけだ。
それはそれとして、江戸の商業の中心は各街道の基点である日本橋だったので、近接する人形町もかなり栄えた。
明治時代になり、ターミナル駅は、たいてい江戸時代の拠点を避けたので、日本橋、京橋のはずれの現・東京駅となる。
やがて繁栄はターミナル駅に移り、それにともなって繁華街も銀座に移動し、人形町も忘れ去られ、そして、関東大震災の大火災により灰燼に帰す。
したがって、今、残っている町並みは、その後の昭和の町並みということになるが。
ともあれ歴史テーマパークとしての地位は確立したわけだ。
ひょっとすると銀座の将来の姿が人形町なのかもしれない。
(2006年8月記)