曳舟(曳舟駅前地区再開発)

曳舟駅前地区再開発工事現場

水天宮駅に戻り再び半蔵門線曳舟で下車。
曳舟川通りの東側は曳舟駅前地区再開発で一帯が工事中となっている。
京成曳舟駅の東側ではMARK−01も工事中。
半蔵門線がそのまま直通するというのは未だに信じられないほど便利になった。
駅名は曳舟だが、地名ではなく曳舟川通りにかつてあった曳舟川からとられている。
文字通り、江戸時代は舟を岸から曳いていったということだ。
実際の地名は、向島である。
江戸時代、水神橋のたもと、隅田川の東岸に将軍の休憩所として隅田川御殿があり、その中の御前栽畑が、当時、隅田川に合流していた古隅田川の対岸にあったので向島と呼ばれた。
それがいつしか全域の地名になる。たしかに古隅田川の対岸が向島なら、浅草から見て隅田川の対岸が向島でもよくなってしまう。
特に明治時代以降、上野、浅草が中心となると、浅草の向こう、向島という傾向が強くなる。
その浅草を目指して東武伊勢崎線京成電鉄が線路を延ばしていくが、曳舟の次の駅、押上、業平橋まででストップする。(今は両方とも浅草に乗り入れているが)
しかし、業平橋は浅草まで延伸する前は、駅名が浅草であった。
今では、信じられないことだが、当時の状況としては、普通に受け止められることだったと思う。
なぜなら、業平橋、押上、曳舟東向島(玉ノ井)までは、浅草の衛星的な繁華街として栄えていたからだ。
だが、高度成長時代を経て、上野、浅草は衰退し、同時に浅草の川向こうの繁華街はすべて、雲散霧消する。今はレトロ趣味の好事家が訪れるのみである。
そして、ここにきて、曳舟駅前の再開発と押上の新東京タワー構想である。
もはや、浅草の向こう、向島ではなくなったのかな。
(2006年8月記)