港区芝三丁目(芝公園ファーストビル)

芝公園ファーストビル

水道橋駅都営三田線芝公園駅で下車。
首都高の高架の南側を西へ歩くと芝公園ファーストビルが聳えている。
首都高の高架の北側は芝公園増上寺。そして南側は田町に至るビル街となっている。
もっともビル街になったのはバブル以降であるが。
一帯は芝とかなり昔から呼ばれていた。
竹芝、芝原、芝の浦、と変形するが中心は芝である。
(海苔養殖に使う木の枝を「芝」と呼ぶところからとする説もあるが海苔養殖は江戸時代に入ってからであり、海苔養殖技術の完成は昭和の頃になってしまう。この「芝」が地名の由来であることはありえないだろう)
芝は別の漢字では「柴」と書く。この意味では、小型の雑木、雑草を指す(柴犬の「柴」も同じ語源)。これが最も正しいと思われるが、このような土地柄を「しば」と言い慣わすものなのかどうかわからない(「柴地」というのはあるが)。
江戸時代になり、増上寺の南一帯は、薩摩藩上屋敷となる。そして、江戸時代末期、幕府側の焼き討ちで焼野原になってしまう。
たいてい明治時代になり藩邸はなんらかの施設に転用されているが、増上寺の南側についてはどうなったかわからない。
記憶によると、ビル街になる前は家屋が建ち並び下町のような感じだったが。
おそらくビルの用地はすでに確保されてあったので下町のような家並みだったのかもしれない。
ともあれ、江戸時代の藩邸が長い時間を経てビル街になった、ということだろうか。
(2006年8月記)