両国(NTTドコモ墨田ビル)

NTTドコモ墨田ビル

再び大江戸線。両国で下車。
駅北側にNTTドコモ墨田ビルが聳える。
JR両国駅の特に北側は不便だ。むしろ最初から北側にある大江戸線から降りた方がまだましだ。もともと近在の住民のための駅ではないからだろうか。
他のビルとしては、東側に第一ホテル両国、駅南口、京葉道路の南側に両国シティコアがある。
両国という地名は、西側の武蔵国、東側の下総国、この二つの国の間にある橋、両国橋からとられた。
江戸幕府は当初、防衛上の観点から橋は架けなかったのだが、大火災が発生したとき、逃げ場を失った住民に大きな被害が出たことを契機に両国橋を架ける。
また、この惨事を契機に回向院が作られ、その境内で相撲が始まり、それが後の大相撲になる。
そして、架橋後は、対岸の本所、深川が新興住宅地となり、発展する。
その新興の住宅地の中には吉良上野介の屋敷もあった。
駅北側は、御竹蔵という幕府の倉庫があった。明治時代になって軍の施設に変わる。
そして、関東大震災のときの大火災により、その軍の施設に避難して来た住民にまたしても大きな犠牲が出てしまう。
東京大空襲でも本所、深川は被害が大きい。
こうして改めて振り返ってみると、この土地の犠牲者の数の多さに絶句してしまう。
両国駅がいびつな駅であるのは、ひょっとしたらそのせいかもしれない。
なにか生活のための駅という感じがしないのだ。
江戸、東京、と都市が発展していくときの、忘れてはいけないが、ひどくつらい記憶。
そのために歴史の博物館があり、大相撲があり、そして必ず毎年、年末の討入りの話の舞台となっているのかもしれない。
そうであれば、両国駅は、不便でもなんでもないのだろう。
(2006年9月記)