白金高輪(TAKANAWA The Residence)

TAKANAWA The Residence

高田馬場から東西線飯田橋南北線
白金高輪で下車。桜田通りを南へ歩くとTAKANAWA The Residenceが聳えている。
北側には並ぶようにシティタワー高輪。さらに北側には白金アエルシティがある。
TAKANAWA The Residence、シティタワー高輪は白金台、高輪台のへりに建っていて、東側の坂を下ると品川港南へ出る。
もとは高縄という地名で縄を張ったようにまっすぐな尾根道かららしいが、もっと深い意味があるんじゃないかな。
江戸時代は、高台は大名の屋敷、東側の斜面は多くの寺で占められ、くだりきった海岸に東海道が走っていた。
それらの寺の中には泉岳寺がある。
泉岳寺といえば忠臣蔵である。
赤穂浪士は討入り後、両国から泉岳寺のあるこの地まで歩いてきたのだが、どんな気持ちだったろうか。
おそらく歩く途中は、勝利の高揚感しかなかったのではないだろうか。
なぜなら、戦闘集団(討入りの経緯を見ると武士とは徹頭徹尾、戦闘集団だと思わざるを得ない)がターゲットを見定めて、冷徹に目的を達したわけだが、それが幕府の裁可を受けることを想定していた行動とはとても思えないからだ。
その後は、英雄と称えられ、うまいものをご馳走になり、暖かな部屋でぶ厚い布団に寝かされ、ついには、心身を完全にとろけさせられてしまったのに違いない。
あとは幕府の裁可を受けるしかなかっただろう。
このあまりにも切ない結末があるからこそ、この物語は永遠に人々の心に響いているのではないだろうか。
わいろなどの受け入れがたい人間関係、社会の仕組みに結局は依存しなければならないということに対する、悲しいファンタジーなのだ。
この高輪台の高み、東京湾を見渡せる景色は、それらを超越したと思わせたかもしれない、でもそれも一瞬だけだったわけだ。
(2006年9月記)