赤坂(プルデンシャルタワー)

プルデンシャルタワー

白金高輪南北線に乗り。溜池山王で下車。
北側、赤坂見附の方に歩いて行くとプルデンシャルタワーが聳える。
シンプルなデザインの白亜の塔が空に向かって聳え立つさまは清冽の極みだ。
なにか宗教的な遺跡にも見える。
江戸時代の以前は桜田村という集落があったらしい。桜田門にその名が残る。
江戸城が出来て、まず最初に飲料水の確保に悩むことになる。
そこで、上水を引いてくる間は、小川をせき止めて人造湖を作り対処する。
これが赤坂見附から南、溜池山王虎ノ門まで広がる溜池だ。
桜田村は、池に沈むことになるので赤坂台へ移転したらしい。
明治のころ池はなくなり、歓楽街となる。
特に戦後、高度成長期前が全盛だった。
発展途上国にあるようなけばけばしい華やかで輝いていたようだ。ということは、このころは発展途上国だったのかな。
安定期(1980年代)に入るといつの間にか、賑やかさが消えてしまう。
バブル崩壊後、ポツポツと巨大ビルが建ち始める。プルデンシャルタワーもその中の一つだ。
プルデンシャルタワーのある場所には、戦前は、日本料亭、幸楽があり、226事件で蜂起した反乱兵士が立ち寄っている。
戦後は、ホテルニュージャパンが開業し、付属していたナイトクラブ、ニューラテンクォーターで力道山の夢が絶たれている。
そしてバブル前夜、1980年代初、ホテルニュージャパンは炎に包まれ、廃墟となる。赤坂の凋落を象徴するように。
さらに、土地を取得した千代田生命は、バブル崩壊とともに破綻する。
今はきれいさっぱり何もなくなり、白亜の塔が空に向かって聳え立つのみだ。
抱えきれないさまざまな想いを、できるだけ空高く、昇華しているように見える。
(2006年9月記)