汐留シオサイト(汐留メディアタワー)

汐留メディアタワー

通りを挟んでロイヤルパーク汐留タワーの南側には汐留メディアタワーが聳える。
形が三角柱になっている。
汐留シオサイトのビル群を構成するビルは一つ一つ、独特の形をしている。
汐留は、もともと江戸時代に浜辺を埋め立てて武家地にした場所である。
明治時代初、そこに新橋駅が開業し、東海道線の東京側の起点になった。
その後、大正時代初、上野駅と新橋駅が連結し、東京駅が開業、こちらが各路線の起点になる。
新橋駅は、北の烏森駅を新橋駅とし、旧来の新橋駅は汐留駅となり、貨物専用になってしまう。
その貨物専用の汐留駅もバブル直前に廃止され広大な貨物ターミナルは更地となる。
バブル崩壊後、再開発が始まり、失われた10年を経て汐留シオサイトのビル群は順次完成していく。
汐留が新橋駅だった頃は鉄道の起点であり、汐留になってからは貨物の集積地だった。
終戦後、日本を統治したアメリカ軍最高司令官、マッカーサー虎ノ門まで道路を作れと言わなくても、当然あってもいいような気がするが。
そして、汐留が貨物の集積地ではなくなってから、あらためて虎ノ門まで地下道を作るということだ。
汐留シオサイトの高層ビルはたしかに時代の最先端かもしれない。
しかし、その土地は使い古され、もう用済みなった捨て地のような気もする。
どのようにこの土地が使い古されてきたのかまったくわからないけど。
(2006年9月記)