港区芝(日本電気本社ビル)

日本電気本社ビル

増上寺の東側、日比谷通りを通ってさらに南へ歩く。
巨大な日本電気本社ビルが聳える。
バブル真っ只中、竣工している。
この後、北側、芝公園までいくつもの高層ビルが建っていくのだが。
江戸時代、この場所には薩摩藩中屋敷があった。
幕末のころ、幕府勢力によってその薩摩藩中屋敷は焼き討ちを受ける。
それが口火になり、鳥羽伏見の戦い戊辰戦争となり、明治維新は急展開していく。
歴史的な節目は置いておくとして、この攻撃により広大な屋敷建物は灰燼に帰し、焼け跡は薩摩っ原と呼ばれていた。
日本電気本社ビルが竣工したとき、地元では墓石と呼んだりしたそうだが、このような歴史を知ると、単に揶揄した言葉ではなく、その土地に刻まれた悲しい記憶によるものだとわかる。
このビルを建てた日本電気は、明治の終わりごろ設立された電機メーカーである。
高度成長が終わり安定期に入った頃、突然(ではないかもしれないが)コンピューターに目覚め、パソコンのPC-9800シリーズを発表。安定期からバブル崩壊までエレクトロニクスの世界では圧倒的な存在であった。
バブル崩壊後は影がやや薄くなり現在に至る。
今から思うと信じられないが、安定期、バブルのころは本当にパソコンといえば、PC-9800シリーズのことで、それ以外、選択の余地もなかったと記憶する。
もちろん、このような独占状態は日本だけであり、世界貿易の枠組みの中では、急速に存在感をなくす、ということだった。
それがバブル崩壊の時期になる。
この真ん中が中空になっている特異なデザインの巨大なビルを見上げると、かつての栄華をしのばれる。
やはり、墓石とはいわないが、記念碑には見えてしまうのかな。
(2006年9月記)