田町駅芝浦(住友不動産三田ツインビル東館)

住友不動産三田ツインビル東館

山手線を陸橋で渡って東側へ。
住友不動産三田ツインビル東館(工事中はこちら)がある。
どうも住友不動産三田ツインビル西館とデザインや特に同じ赤茶色だと思ってたら、ツインビルということだったようだ。ビルの規模がまるで違うし、山手線を挟んで距離も離れているのだが。
すぐ南側に警察署の社宅になる高層ビルが工事中だがこちらとツインビルになるのかと思っていた。
陸橋の札の辻橋で山手線を渡るのであるが、その陸橋の名前は巨大ビルの近くにある三叉路の交差点、札の辻からとられている。
日本橋江戸城の分岐点であり、江戸時代初期においては江戸の町の境界線になっていた。
江戸時代(に限らないが)、境界にはたいてい刑場があった。そして、鈴が森の前は、この札の辻が刑場だったようだ。
さらに三代将軍徳川家光の頃、キリシタン大弾圧が行われた場所(江戸時代におけるキリシタン大弾圧の端緒にもなっている)でもある。
その後、慰霊のため智福寺という寺が移ってきたが、なぜか高度成長期の頃、上石神井へ移転、跡地に近鉄モータース(近鉄グループの外車輸入代理店)が本社をかまえる。どういう経緯でそうなったのかまったくわからないが。
さらにその後、近鉄グループが買収した老舗ホテルチェーンの都ホテルが都イン東京ホテル(閉鎖間際に三田都ホテルに名称を変更している)を建てる。
近鉄グループがバブルで傾き、そのため都ホテルも撤退し、その場所に住友不動産が巨大ビルを建てた、というわけだが。
高層ビルが立っている場所というのは、それなりに理由があったりするのだが、とりわけこの場所の理由はとてつもなく重い。
札の辻刑場とキリシタン大弾圧による多くの犠牲者に対する慰霊碑(別々の方がいいのかな)のようなものがあってもいいような気もする。
格式の高いホテルなら躊躇せざるをえないのだろうが、これほどの巨大オフィスビルならそのことで不動産価値が減ることはよもやないだろう。
もう一つ、小さい方の住友不動産三田ツインビル東館は、大沢商会という…、もうやめよう。住友不動産系列のシティホテルの高層ビルなので普通の土地なのだろう。
(2006年9月記)