港区芝浦(CapitalMarkTower工事現場)

CapitalMarkTower工事現場

少し南へ歩き運河を渡る。
CapitalMarkTowerの建設現場。
巨大な姿が現れ始めた。たぶん、来年(2007年)後半には竣工するだろう。
もとは沖電気の工場があった場所だ。いまでも一部残っているかもしれないが。
沖電気は明治時代初から歴史のあるエレクトロニクス産業の企業である。
沖電気といえばプリンターしか知らないが、電話交換機では草分けのような存在らしい。また金融機関のATMでも中心的な存在であるようだ。
ATMといえば、いつからこんなにお金の出し入れが便利になったことやら。
安定期からバブルのころだろうか。
実体から経済が離れていくことにさぞ貢献したことだろう。
お金を預けるのも引き出すのも銀行の窓口にわざわざ足を運んだものだ。そのためかどこの町にも銀行の支店があったりした。
一歩足を踏み入れると、日常とは明らかに違う、社会の無情で無慈悲な側面を見せつけれるようで、変に厳かな気分になってしまったものだが。
ATMを使っていると社会のそういう冷徹な部分は見ることはないな。
失われた10年を経てATMはますます便利になって、でも使う本人は自己責任という名の孤立無援の状態で社会の荒涼たる原野に置き去りにされることになる。
便利にはなったけど、あきらかにものづくりの帰結ではない。
ものを作るのではなく、データに変換しているのだ。
電話というのも、そもそも音声をデータに変えること、ATMもお金をデータに変えるし、プリンターは逆にデータを印刷物に変えることだ。
こうしてみると、沖電気は工業国日本においては少し毛色が違っていて、「データ変換」ということをしていたのかもしれない。
でも、「もの」という実体の、どうしようもなく現実的な部分がグローバル社会ではまったく解決していない。経済のグローバル化がどうしようもなく残酷なのはそのためなんじゃないかな。
電話は、IP電話になるだろう、お金も電子マネーになるだろう、紙という媒体もなくなってしまうだろう、でも沖電気は生き残っていくんだろうな。
そして、芝浦の昔からある工場は高層住宅になる。
工場は、不動産になったというわけだ。
(2006年9月記)