京王線国領駅北口(グランタワー調布国領ル・ パサージュ)

グランタワー調布国領ル・ パサージュ

武蔵野線で中央線に戻ろうと思ったが時間がなさそうなのでやめて府中駅へ。
京王線に乗る。国領駅で下車。駅北口にグランタワー調布国領ル・ パサージュがある。
国領という地名は西の府中にあった国府を維持するための領地だったので国領と呼ばれたらしい。
江戸時代になって甲州街道の3番目の宿場町となる。(内藤新宿、高井戸の次である)
布田5宿と呼ばれた。布田5宿は国領、下布田、上布田、下石原、上石原から成り立っていた。
この地域の中心は調布駅だが、鉄道駅は旧来の宿場町のはずれに設置されるという法則通りということになる。
また、京王線も開業当時は国領付近では今よりも北側、甲州街道の北を通っていたそうだ。
鉄道の路線が引けないほど宿場町が栄えていたかどうか、わからないが。
そして、どこの地域でもそうだが、やがて鉄道駅の方に中心が移っていき、旧来の中心地はさびれ、下町となっていく。
そのような下町が再開発の対象になり、巨大ビルになるのだ。
昔から住んでいたわけではないので、本当にそうなのかどうか、はっきりとは言えないが。
以前、一度、狛江から国領まで都道11号、狛江通りを歩いたことがある。
のどかな郊外住宅地が広がるが、京王線に近付くにつれ、工場、病院や学校、集合住宅など、施設が並び、それが過ぎるとさびれた駅前が現れる、というふうに記憶している。
現在、南口はもとより、北口の高層住宅の建っている周囲、北口の駅前広場だが、の変貌は大きく、記憶している当時の街並みと結びつけることができないほどだ。
まったく違う街になってしまった、ということだが。
京王線沿線は南側の小田急線と比べて、何か安っぽいイメージがあるけど、こうして、洗練されてすっきりとした駅前になってしまうと、少し寂しい気もする。
安っぽいものは消えるしかない世の中になってしまったと思うからだ。
(2006年10月記)