相模原市橋本駅北口(グラントーレ橋本)

グラントーレ橋本

さらに少し離れて西隣。グラントーレ橋本がある。
昭和に入るまでは、八王子の勢力圏にあった相模原だが、昭和の初期から様相が変わり始める。
相模原の軍都計画だ。
西は水力発電のための相模湖から南は厚木飛行場、東には現在、こどもの国になっている弾薬庫、とほぼ現在の相模原市の範囲にあたる。
横浜線は電化され、国道16号線はまっすぐで幅広な道路になっているのも軍都として計画されたからだ。
また現在ある大きな諸施設は、当時の軍関係の施設があった土地を利用していたりする。
このような壮大な軍都計画は、敗戦により途絶するが、しかし、戦後の相模原市の市街化に受け継がれ、現在に至っているのだ。
つまり、相模原市の基盤は戦前の軍都だったわけである。
もっとも、なぜ相模原に軍都が築かれたのかまったくわからない。
埼玉県でも千葉県でも茨城県でもよかった気がするが。
やはり東京と横浜(軍都としては横須賀)の両方に近かったからだろうか。
それでは現在の橋本の街づくりと同じだ。
太平洋戦争の最後、アメリカ軍は相模湾への上陸を予定していたらしい。
日本の敗戦により太平洋戦争は終結したので、計画は実行されなかったが、上陸してそのまま北上すれば相模原だ。
そう考えると相模原に軍都、というのも何か大きな根拠があったのだろう。
それはそれとして、戦場にもならず都市基盤がそのまま残りよかったかもしれないが、まだ、軍事施設があるというは残念だ。
(2006年10月記)