JR川崎駅東口(川崎日航ホテル)

川崎日航ホテル

川崎駅に戻って、京浜急行とJRの間の部分へ。少し南に歩くと川崎日航ホテルがある。
バブルの前、安定成長期に竣工している。ひょっとすると、川崎駅周辺では最初の高層ビルかもしれない。
その当時の京浜工業地帯の川崎にあっては、この清楚なデザインのビルは大いに目立っていたことだろう。
学生の頃、少しの間だけど、川崎まで通学していたのだが、その頃から、川崎には京浜工業地帯とは別の顔もあったのだ。
それは北部の田園都市である。
多摩川の南側は丘陵地帯なので都心との交通の便さえよければ、そこは山の手になりうる、と誰かが確信したのだろうか。
それはともかく、高度成長期以降、郊外の山の手として川崎、横浜の北部が開発され始めるのだ。
でも、高度成長期、それに続く安定成長期、まだまだ南武線沿線はごたごたした街並みで、ささやかな商店街があるだけだったなあ。山の手もまさに雲の上の存在、関係なかったのだ。
バブルの頃だったろうか。ひさしぶりに川崎に行くことになった。頭の中にはあの学生の頃の川崎の街並みがあり、懐かしくもあったのだが。
しかし、駅前に立ったとき、あまりに整然としてきれいになった街並みに息を呑んでしまった。
もう失われたあの風景は戻らないだろう、と思ったものの、世間はバブルの熱狂に突き進み、もはや後ろを振り返らない。自分もそうだったし。
川崎の街は今でも突き進んでいる。田園都市の一部に取り込まれつつあるのだ。
だが、もうついていけない自分には、失われた風景を懐かしむだけしかないのだろう。
真っ白い清楚な川崎日航ホテルも再開発に埋もれて、すっかり目立たない古いビルになってしまった。
結局、残っているのは、ビルだけなのかな。
(2006年12月記)