船橋駅北口(プラウドタワー船橋)

プラウドタワー船橋

八千代中央駅に戻り再び東葉高速鉄道に乗る。
今度は上り方面へ。東海神駅で下車。以前下りたときは、もっと船橋駅に近いと思ったけどなあ。
でも同じように船橋駅へ歩いている乗客もいるし。
細い道を辿りながら南へ南へと歩いて行くとだんだん賑やかな街並みが見え、やがて船橋駅前北口に着く。
船橋駅北口、駅前広場の東側にプラウドタワー船橋がある。
こんな立派な高層住宅がいつのまにできたんだろう、という感じだ。
雑然として混沌とした繁華街が徐々に整理されていくようだ。京成本線も高架の工事をやっている最中である。
船橋といえば、そのような繁華街があるだけではない。南東側、海老川沿いに意富比神社(船橋大神宮)という神社がある。
意富比は「おおい」と読むらしい。
延喜式にも載っており平安時代よりも確実に古い。(延喜式には、下総の一宮は鹿島灘近くの香取神宮になっている)
意富比神社の最初の場所(元宮)は、もっと西側、海神町の南側だったらしく、次に北部の夏見町に移り、そして現在の海老川沿いに移っている。(延喜式に載っている意富比神社というのが、どこの場所にあった時点かわからないのだが)
なにか、船橋の中心部も同じように移動しているような気がするが。(もっとも「船橋」という地名はそれほど古くはないだろう。元はどんな地名だかわからないけど)
海老川河口に船橋湊という街ができたのと、意富比神社が今の場所に移ってきたのは同時だったのではないだろうか、とも思える。
そして、その後、江戸時代になって、成田街道(正式には佐倉街道)の宿場街になっていくのだ。
とにかく、掛け値なしにとても古い歴史を持つ場所であることは確かだ。
太古の昔から連綿と続く歴史の流れに、船橋の街の再開発も付け加わろうとしている。
(2007年1月記)