川口駅東口(スカイフロントタワー川口)

スカイフロントタワー川口

さらに京浜東北線に沿ってずっと南側へ歩く。
もう荒川近くというところに、スカイフロントタワー川口がある。
川口では2番目ぐらいに建った高層住宅ではないだろうか。
川口、に限らないけど、関東平野は昔は、とにかく湿地帯が多かったようだ。
川口ではどこまでが湿地帯だったか今となってはさっぱりわからないけど。
たぶん、鎌倉街道、後の日光御成街道の通っていた、川口元郷から鳩ヶ谷、そして、戸田、蕨、浦和を通っていた中山道のあたりは、湿地帯ではなかったのだろう。
ということは、その他は湿地帯だったのかもしれない。
湿地帯というのは、干拓したりしないと、そこで農業はできない。それどころか通行も困難だったろう。(古代の東海道は、神奈川県の三浦半島から東京湾を渡って、対岸の房総半島に伸びていた。つまり、関東平野の湿地帯を横断できなかったのだ。)
そのような不毛な土地にあっては、鋳物産業が連綿と存在してきたのは、当然のことだったのかな。
明治時代以降近代なって、こういった場所は、工場地帯になったり、商業地帯になったりする。
そして、人々が集まり、街になるのだが、そこは下町、ということになる。
川口のまわりを見てみると、北側の蕨は歴史を感じさせる商店が軒を連ね、その北側は、文教地区の浦和になる。北東側の鳩ヶ谷は、長らく鉄道が通らなかったが、こちらも歴史を感じさせる落ち着いた街並みだったように記憶している。
明らかに、山の手のような雰囲気だし、実際、湿地帯に対しては台地になっている。
一方、川口を見ると、たとえば、西川口駅周辺だと、本当に下町、という雰囲気だ。(特に西川口駅の西側は下町だったように思う。今から10年前の記憶だが)
バブル期までは、川口は、埼玉南部における下町だったのかもしれない。
しかし、バブル期を過ぎた現在は、高層住宅が林立し、立場はまったく逆転してしまうのだ。
なにか昔からのバランスが崩れてしまったようだが、今後、埼玉の南部はどうなるのだろうか。(一応、大宮と浦和はくっついてさいたま市になってしまったけど)
(2007年3月記)