有楽町線永田町駅(平河町二丁目東部南地区再開発)

平河町二丁目東部南地区再開発

赤坂見附交差点に戻り、さらに青山通りを東へ歩く。
永田町の駅のあるあたりにかけて、急な上り坂になっている。
赤坂見附門の跡が今も残っている。
そのままさらに青山通りを東に歩いて行くと、青山通りの上を通っている首都高の高架が分岐して北へ向かっていて、空中をコンクリートの高架がうねっているような、昔のSFのような光景に出くわす。
そのような場所の青山通りの北側に平河町二丁目東部南地区再開発がある。
さらに東に歩き、交差点を北に曲る。
今度は、急な下り坂だ。
下りきると、平河町二丁目東部南地区再開発の東側に出る。
複雑な地形だし、首都高の高架は間近を通っているし。でも、こんな場所だからこそ、高層ビルが建つのだろうか。
平河町の地名は、むろん平河天神によるのだが、平河天神はもともと、江戸城内、梅林坂にあったようだ。
今の二の丸庭園あたりなのだろうか。北側に天神濠がある。この天神濠の名前は、この神社からきているらしい。
徳川家康江戸城に入ってきた頃、江戸城の拡張のため、北側の平川村に天神は移転している。今の平川門、平川橋、平川濠にこの平川村の地名が残っている。
そのときに平河天神、という名前になったらしい。
さらに、江戸城拡張のために、平河天神は、半蔵門の西側に移転する。
今度は、地名が、平河天神から、平河になっている。
数奇な運命を経た地名なのだが。
一帯は、北側の番町、麹町の山の手台地と南側の青山通りの尾根との間に挟まれた谷地になっていて、そのためかどうかわからないが、裁判所や国立劇場などの施設やビルが多い。
平河町二丁目東部南地区再開発もそのような施設になるのだろう。
(2007年6月記)