都営新宿線浜町駅(浜町センタービル(日本橋浜町明治座))

浜町センタービル(日本橋浜町明治座)

清洲橋通りを北へ歩いていく。
しばらく歩いて行くと、清洲橋通りの東側に浜町センタービル日本橋浜町明治座)がある。
高層ビルだが、劇場でもあったりする。
もっとも、このような場所に突然、劇場があるわけではなく、ちゃんとした歴史的な背景があるようだ。
浜町センタービル日本橋浜町明治座)の西には人形町があるが、その中を南北に伸びる人形町通りの西側には、江戸時代、市村座中村座という歌舞伎劇場があった。
江戸幕府が公認した3つの劇場のうちの2つの劇場があったのだ。
人形町といっても、人形だけで、このような歴史のある街になったりはしなかったわけだ。
さらに、人形町通りの東側あたりは、元吉原があったりした。
江戸の街が開かれてから数十年間は、吉原は、今の人形町にあったのだ。
そういうわけで、江戸時代は、さぞ賑やかな街だったことだろう。
明治時代になると、そこに水天宮が加わり、今の浜町あたりの武家屋敷が料亭街になったりする。
まだまだ賑やかだったのだ。
だが、高度成長期を過ぎて、だんだんkの街も忘れ去られていく。
忘れ去られても、逆に静かになったので、料亭の中は賑やかだったかもしれないけど。
そこに、バブルがやってくる。バブルが崩壊する頃に、浜町センタービル日本橋浜町明治座)も竣工している。
そして、バブルが崩壊して、失われた10年、それに続く、都心集積化の時代。
忘れ去られた街には、次々と巨大なビルが建ち、再開発が進んでいく。
かつて、江戸時代、歌舞伎の劇場で賑わった街には、高層ビルが建ち、その高層ビルの中に明治座が残った、ということだ。
そのような歴史を振り返ると、今のこの一帯の火の消えたような静けさは寂しいような感じがする。
だからだろうか、水天宮が残っているように、人形町が歴史テーマパークとして残っているように、明治座もいつまでも残っていて欲しいような気もするのだ。
(2007年12月記)