丸ノ内線四ッ谷駅(上智大学新2号館)

上智大学新2号館

紀尾井坂をさらに西へ。
弁慶濠の土手みたいになっている道路に入り、北へ歩く。
そのまま歩いて行くと四ツ谷駅に着くのだが、この道路の東側には、上智大学の敷地が広がっている。
上智大学には、最近できた、上智大学新2号館がある。
近頃は、都心集積の時代のためなのかどうかわからないが、大学の校舎が高層ビルになることが多いように思う。
上智大学もその例に漏れない、ということか。
ところで、上智大学のある場所には、江戸時代、尾張藩中屋敷があったらしい。
尾張藩、といえば、紀尾井町の「尾」の部分だ。
残りの「紀」は、紀州藩。「井」は、彦根藩の井伊家、となっている。
それら三つの藩の屋敷があった場所が、紀尾井町だ。
その紀尾井町は、明治時代になって、それぞれ、尾張徳川邸、北白川宮邸、伏見宮邸、その他、という風に変化する。
その中で、尾張徳川邸、その他がイエズス会の土地になり、そこに上智大学が開校している。
残りの、北白川宮邸、伏見宮邸は、戦後になって、プリンスホテルホテルニューオータニに代わる。
このような変遷を見ていると、時代の流れを感じてしまうが。
もっとも、紀尾井町の現在の、上智大学プリンスホテルホテルニューオータニ、という区分けが、江戸時代の大名屋敷の区分けと変わっていない、というのは、興味深い。
しかも、この土地には、直接には関係のない、イエズス会教育機関が、この区割りの中にきちんと納まっているのだ。
だからこそ、上智大学が、有力な大学として、日本の教育機関の一画を占めるようになったのだろう。
そして、最近、高層ビルも建った、というわけだ。
(2008年2月記)